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2006年9月30日 (土)

寓話 米原海岸の海亀

2006年夏、沖縄県石垣島の米原海岸。

台風が去ったあと、いつも挨拶に行くクマノミの家族は無事だったようで、「また来たな」といつものように俺を追い返しに威嚇してきた。「元気だったか」と軽く挨拶をして浜に戻り、フィンとマスクをはずし横になると眠気が差してきた。太陽は西に傾きかけうだる様な暑さが去り、風も無く昼寝にはいい時間だ。手を後ろ頭に組むと意識が遠のいていった。

30分ほどたっただろうか、どこからか俺を呼ぶ声が聞こえてきた。

「オイ、そこのオヤジ。またこんなところで油売ってんのか」

海亀がぶつぶつ言いながら俺のほうにズリズリと寄ってくるではないか。陽の光がまぶしい。よだれをふきながら薄目を開けて頭をあげた。ぼんやりとしか見えないがやはり海亀だ。

「オヤジとは俺のことか」

「そうだよ、他にいるか」

「人間の言葉を話す海亀はおまえが初めてだ」

「海亀をバカにすんなよ、俺の友達はみんなしゃべるぜ」

海亀のくせにその声はいやにかん高い。そのずうずうしい海亀はどんどん俺のほうに寄って来た。体を起こそうとするが身動きが出来ない。海亀は耳元まで来ると鼻を鳴らして俺の匂いを嗅ぎ出した。

「何やってる」

「敵か味方かしらべてるんだ。動くなよ」

海亀はニヤッと笑い「敵ではなさそうだ」

「最近、大和ハウスって企業がこの海岸にリゾートホテルを建てようとしてな。母ちゃんたちがおちおち卵も産めなくなってよ」

「そうか。お前たちはこんな観光地で卵産んでんのか。大変だな」

海亀はゆっくりを周りを見回しながら話を続けた。

「他人事だと思って、暢気に昼寝か。近ごろ石垣島にコバンザメっていうニックネームのやつがうろうろしててね。スパイだ。そいつかと思って様子を見に来た」

「そのコバンザメって人間は悪いやつか」

「悪いってもんじゃない。海亀の産卵場所を壊そうとする大和ハウスから金もらって、大和ハウスは素晴らしい企業です。なんて言いふらしてるふとどき者よ」

「それどっかで聞いたことのある話だな。もしかしてメガネかけた五十絡みで白髪の一見エリート風のやつじゃないか」

「そうそう、そいつよ。知ってんのか。時代遅れの妙に短い短パンはいて真っ赤なアロハシャツ着て色白で目立つからな」

「米原海岸を守ろうとか俺の友達がやってて、この前写真まで見せてくれたぜ。時々島に来てるって話だったな」

すっかり打ち解けた海亀はさらにずうずうしくも身動きのとれない俺の腹の上に乗ってきやがった。ところが不思議にも全く重さを感じない。

「亀が人間の上に乗ってるう」真っ赤に日焼けしたコギャル二人がチラッとこっちを見てげらげら笑いながら過ぎていく。海亀はさらに俺の鼻先に顔を近づけてかん高い小声で話を続けた。

「おまえの腹はクッションがいいな」

「余計なお世話だ」

「東京に住んでる鮫元って男だ。下の名前は秋人。海亀社会で指名手配中なんで見かけたらヨロシク」

「ヨロシクって、どうすりゃいいんだ」

「コバンザメが来たって教えてくれ」

「どうせ暇だからいいぜ。どうやって知らせる」

「海中で石を叩いてくれ。4回だけな」

海亀はようやく腹の上から降りて海へ首を向けた。

「でも、その鮫元って男、見つけてどうするんだ」

「海のなかに引きずり込んでやる。ホオジロザメのところに連れて行くんだ。あいつら人間が大好物だからな」

「結構過激だな、海亀の社会は。テイゲイにしとけよ」

振り向いた海亀はヘ、ヘ、へと不気味な笑いを残してゆっくりと海の中に消えていった。

いつの間にか陽は水平線の向こうに落ちようとしていた。あたりには誰もいなくなり、夕焼けがサンゴの砂を赤く染め米原海岸は静かな波音だけが支配していた。

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2006年9月26日 (火)

ナナカマドの実が赤く色づいて大雪山系はすでに初冠雪を記録した。昨日、長野から旧友のヒラチャンが仕事で苫小牧によったのでライブハウスのアミダ様で一杯やった。また飲みすぎた。ヒラチャンは仕事が翌日ひかえているので早々に引き上げ、アミダ様のツルさんと夜中の2時過ぎまで話しこんだ。

そのアミダ様の歩道に面した壁のタイル4平方メートルくらいが剥がれ落ちそうになって、ツルさんは頭を抱えていた。ビルのオーナーに早急に修理するよう連絡するのだが無視しているという。オーナーは東京の不動産屋「ハビタ」という会社で3代目。ツルさんは壁の下の歩道に工事用の柵を設け、けが人が出ないように処置している。場所は苫小牧市表町の道新ビルの並び。通学路にもなっているのでツルさんは心配でしょうがない。不動産屋が全く修理する気がないので裁判所に出向いて不動産屋に修理するよう命令を出してもらおうと動き出した。「なんで俺がこんなに気をもまなきゃいけないわけ、これって不動産屋の仕事だべ」と憤慨しきっていた。全くこれはオーナーの不動産屋「ハビタ」の怠慢。事故になった時、責任を問われるのはのはオーナーであるのは明らかだ。壁の下地とタイルの壁はすでに大きいところで10センチくらい開いていて今にも崩れ落ちそうなのだ。ツルさんは写真を添付して「ハビタ」には送付したので、このまま無視し続けるわけにもいかないと思うのだが。

苫小牧の駅前大通りはつい最近の地価評価額調査で下落率が日本でワースト5に入ったそうで、やたらと駐車場が目立つ。殺風景な街になってしまっている。郊外に大手のスーパーイオンが進出したため、駅前のダイエーと丸井今井のデパートが次々と撤退し寂れる一方。信号機から聞こえてくる「カッコウ、カッコウ」の音楽がやけに大きく聞こえてくる。

ツルさんはこのライブハウスを作って30年、今や「アミダ様」は苫小牧の音楽シーンを引っ張る原動力となっている。駐車場がやけに繁盛する昨今、オーナーの不動産屋はどうもこのビルを取り壊して駐車場を作ろうとビルが自然崩壊するのを待っている節がある。全く許せない会社だな「ハビタ」は。どなたかいい知恵を貸してもらいたいのだが。一刻を争う問題だ。

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2006年9月24日 (日)

大和ハウスが石垣島のリゾートホテル計画を凍結か

先週訪れた沖縄の石垣島で次のような話を聞いた。大和ハウス(大和ハウス工業、本社大阪市)が沖縄県石垣島の米原海岸に敷地面積8万2000平方メートルのリゾートホテル建設を計画している問題で、大和ハウスは計画中のリゾートホテル建設を取りやめた。

石垣島の複数の情報筋によると、大和ハウスは、海外からも含め全国からの反対署名が一万人に達しようとしていることなど地域住民の建設反対運動が広がりを見せたのと、来年には米原海岸が国立公園に指定されることや、石垣市の八重山青年会議所がリゾート計画に懸念を表明し企業イメージの低下を恐れたため計画を断念したと見られている。大和ハウスは石垣市の大浜長照市長から建設計画容認のお墨付きをもらっていただけに計画を断念したことで地元の関連企業の間には動揺が広がっている。しかし今年に入ってから大和ハウスは地元への説明会、環境調査など建設計画はほとんど進めておらず、計画を断念したことで大和ハウス側にはさほどのダメージはないものと見られており、地元住民や全国の米原海岸ファンが訴訟を起こした場合の企業イメージへの損害を最小限に押さえようととして撤退を決めたものとみられている。

24日、民放のテレビが地球温暖化によるサンゴ礁の死滅を伝えていた。場所は沖縄県石垣島と西表島の間に広がる日本最大のサンゴ礁で石西礁湖と呼ばれる浅い海。このままだと10年から20年後にはこの海域のサンゴが死滅すると予想されている。大和ハウスのリゾートホテルが建設を計画する石垣島の米原海岸もこの石西礁湖の一部に含まれている。琉球列島を含む日本列島のサンゴ礁は、日本列島を北上する黒潮に乗せこの石西礁湖のサンゴから卵の供給を受けており、この地域のサンゴの死滅が日本列島全体のサンゴに与える影響は避けられない。

大和ハウスが撤退して一番喜ぶのは絶滅危惧種であるウミガメたちであろう。米原海岸はウミガメの重要な産卵場所であるから。もしもダイワハウスが石垣島から撤退する話が本当だとしても大和ハウスは撤退を正式に表明することはないだろう、10数年前にかつて住んだことのある長野県の飯綱高原で大和ハウスが我々住民の反対運動で地元への説明がないままにリゾートホテルの建設を諦めたことがあったが、その後、地元企業への配慮だろうか近隣の町にビジネスホテルを建てたことがある。今回も似たような結末になるのではないだろうか。あくまで希望的観測に過ぎないが。

台風13号の被害を受けた石垣島では現在もリゾート計画から環境を守ろうとする活動は広がりを見せている。

ウミガメたちを大和ハウスのリゾート開発から守るために

反対署名を希望する方はhttp://www.save-yonehara.org/

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2006年9月23日 (土)

シイタケ

秋はきのこ狩りの季節。昨日の日記で登場したヨガをやっている友人は時々フライフィッシングに付きあってくれる。僕にフライフィッシングを教えてくれた師匠でもある。支笏湖へ久しぶりに二人で出かけた。今日はいつも行く湖岸とは違う場所を選んだ。もしも釣れなかった場合でも天然のシイタケが出ている可能性が高い処でそこは秘密の場所。あった、あった。急な斜面を降りたところに一昨年の台風で倒れたミズナラの樹があり予想どうりシイタケが傘を開いていた。10数本も獲れた。直径10センチくらいのがニョキニョキ出てた。二人とも目が点になった。天然のシイタケはスーパーで売っているものと比べて味が濃く、歯ざわりが全然違う。店で売っているパックされたシイタケはカスみたいで不味いのがよく分かる。バターで炒めて塩コショウを振って食べた。甘味があり、旨味もあり最高のおかずだった。体の細胞が活性化したようで自然の恵みに感謝。ところで魚はというと目的のニジマスは全く釣れなかった。外道のウグイは入れ食いだったが。

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2006年9月22日 (金)

ヨガと日本の将来

先ほど一緒に石垣島に行った友人が訪ねてくれ、島で撮った写真をもらった。上半身裸の写真を見て自分の腹周りの肉付きというか脂肪にびっくりした。最近少し太ったかなと思ってはいたが、その写真はかなりショックだった。幸いにも友人はヨガをやっていて、腹回りの脂肪をとるヨガのポーズを教えてくれた。足を組んで体を捻ると横と腰の脂肪が落ちるという。友人はウェスト88センチあったが今は76センチだ。3ヶ月かかるらしいが是非やってみようと思う。体が資本だからな。最近は医療改革とやらで老人が次々と病院を追い出されているという。現代版の姨捨山が始まった。100歳のお年寄りに祝い金を贈る一方で中途半端な老病人は早く死ねというのが医療改革らしい。いろんな改革でわれわれの生活の質はどんどん落ちた。改革には痛みを伴うものと平然と社会的弱者を切り捨てた小泉首相は間もなくその職を辞める。「美しい日本」を作るという安部の坊ちゃん首相が着任するというが。一年持つかねえ。教育基本法を改正して、愛国心を若者に植え付けるつもりらしいが、今の若者に必要なのは社会的マナーだろ?マナーを持たない人間が愛国心を持ったらどうなる?考えただけでもぞっとするぞ。そのいい例がドイツなんかにいるスキンヘッドのネオナチだよ。あんなんが増えるぜ日本にも。鎖を持ったスキンヘッドが「美しい日本を作ろう」とか言って町をうろつく姿が見えるな。クワバラ、クワバラ

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台風13号は猛烈だった。その二

9月16日未明になってさらに猛烈な風と雨が石垣島や周辺の島を襲っていた。家全体がガタガタと振動し雨戸を閉めたアルミサッシの窓の隙間から水がどんどん家の中まで入ってきた。寝ていても顔に水がかかってきて寝ているどころではなかった。女房は新聞紙を窓枠にはめ込んで雨の進入を防いだ。窓が風圧で内側にふくらんでいるようだった。そのころ友人宅では飛ばされそうになった窓を内側から必死に押さえていたという。しかし努力の甲斐もなく窓は吹き飛んだ。片方の窓を押さえるともう片方の窓が飛ばされ、まるでドリフのドタバタ劇みたいで可笑しかったと2日後に奮闘の様子を聞かされたが、あの風雨が部屋を駆け抜けたことを想像するだけで背筋がぞっとした。風が南から西に変わった。吹き返しだ。雨戸が風でずれだしたが窓を開けられる状態ではないのでそのままほっとくしかなかった。さらに猛烈な風雨が石垣島全体を襲った。全半壊した家は52戸。船が沈没したり横転した海難事故は11件。折れたり倒れた電柱は188本に上った。あちこちで車がひっくり返った。夜が明けだしたので窓越しに外を見たが真っ白で30メートル先は見えない。雨粒と海水が混ざり暴風で砕けて霧状になったようだ。樹木は斜め45度に傾いたまま。轟音が止まない。隣の島、西表島では最大瞬間風速69.9メートルを観測した。家の近くにある石垣島気象台でも似たような数字だった。風速70メートルは新幹線の速さくらいだ。走る新幹線の屋根の上に立っていられるわけがない。海は沸騰し風が海水を巻き上げて雨と一緒に島全体を叩き付けた。その凄さはとても文章では表すことの出来ない。暴風雨は丸一日かかってようやく収まってきた。16日の夕方、北海道から来ていた友人夫婦と夕食をするために迎えに外に出てみた。街路樹の大半は折れ、倒れ道を塞いでいた。ホテルの赤瓦が飛び旅行者のレンタカーの窓ガラスがほとんど割れ、車体のあちこちに瓦が当たって凹んだあとが残っていた。息子の友人の親が経営するダイビングショップの船が沈んだ、と聞かされた。老人夫婦が住む家が無残な姿になっていた。息子は「ここ、オジイとオバアが住んでるところだ」と叫んだ。老夫婦の姿はなくどこかに避難したことを祈った。重軽傷者57人。これだけの被害を受けたにもかかわらず死者は出なかった。「9月の台風は気を付けなさい」と島の老人たちが言っていた、と後に新聞が伝えていた。暴風が去った後も電気がさっぱり点かないのが町の惨状を見て納得した。島の農作物も壊滅的な打撃を受けた。その日の夕方、友人たちとお好み焼きを食べた。北海道から来た友人も本物の台風を体験して興奮が収まらなかった。自宅の被害は幸いにもほとんどなかった。友人たちをホテルに送って帰ってきて自宅の屋根を見て、なんだか前と違うなと感じた。「アッ、水タンクがない!」屋根の上に載っているはずの300リットルくらい入るタンクがなくなっていた。家の隣にある墓地の中にぽつんと場違いのようにタンクが転がっていた。ところが水はいつものように出ていた。いったいあのタンクはなんだったのだろうか。次の夜になっても電気は消えたままだった。ろうそくの明かりで非常用のラジオを聴きながら家族でいろんな話をした。いつもならテレビを見て途切れがちだった会話がこの夜は弾んだ。息子には亡くなったお祖父さんのこと、なぜかベトナム戦争のことを話した。いつになく真剣に話を聞いていた息子だった。自分の子ども時代のいたずらしたことも話し大笑いした。また次の夜もろうそくを囲んだ。たまには電気のない夜もいいもんだとそれぞれが感じた。ドキュメンタリー映画の最後の撮影のために白保に住む老人宅を訪ねた。台風が去った2日後だったが電気も水道も開通しておらず、豆腐を食べてしのいだという。島を去る前日、再び老人宅を訪ね、ジューシー(炊き込みご飯)と鳥のから揚げを持って挨拶に行った。その後、天気も回復したので米原海岸に様子を見に行った。海岸近くに住む友人は車が壊れたので代車を借りて帰ってきたところだった。その友人夫妻にケガもなく無事であったことがなによりだった。海は波が少しあったが静かな表情に戻っていた。しかし潜ってみると枝サンゴがボキボキと折れ、3メートルはあるサンゴの塊が逆さまにひっくり返り、サンゴ礁は惨憺たる姿に変わっていた。元の姿に戻るまでに何十年もかかるだろう。この海岸にリゾートホテルを建設を企む企業ダイワハウスは台風で破壊されたサンゴ礁に追い討ちをかけるつもりだろうか。そのダイワハウスのリゾート開発計画で気になる情報を得た。この話は明日以降の日記で。最後になったが、被災された八重山地方の方々には心よりお見舞いを申し上げたい。この台風はその後、九州地方などに死者を出す大きな爪あとを残し北海道まで北上した。9月21日現在、台風は低気圧に変わりオホーツク海から北海道に秋風を運んでいる。

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2006年9月20日 (水)

台風13号は猛烈だった。その一

9月13日久しぶりに石垣島の米原海岸で泳いだころ、台風13号が八重山を目指してゆっくりと北上していた。北海道から友人夫婦が14日に来る予定だったので気をもんでいたが、台風のスピードが遅く間一髪で石垣島入りできた。翌日は暴風圏に入ることが予想された。「今日を逃すと海には入れないから今から海に行こう」空港に迎えに行った足で夕日を追いかけるように米原海岸に車を飛ばした。風もそれほど強くなかったが、リーフの外は沖合いからのうねりが徐じょに強くなってきているのが分かった。小一時間、シュノーケルで米原のリーフ内を案内した。大和ハウスのリゾート開発に反対する署名をしていた友人は「これがあの米原海岸か」と感慨深げに感想をもらした。生まれて初めて見るサンゴ礁は彼の期待を裏切らなかったようで、魚、サンゴなど多様な生き物に感動していた。そのころ台風13号は北西から北寄りに進路を変えて八重山を直撃するコースをゆっくりと進んでいた。その夜、友人夫婦と大川にある居酒屋で石垣島の料理を堪能した。アーサ、オオタニワタリ、アダンの新芽の天ぷら、ゴーヤチャンプル、イカ墨焼きそばを食い、泡盛をおおいに飲んだ。長年の夢が叶った我々はその夜少々飲みすぎた。港にある駐車場の車の中で夜を明かした。時より降る雨が窓から吹き込んで火照った顔をぬらしてくれた。翌日、台風は確実に石垣島に近づいてきた。夕方からは風も強まり30メートルの風が吹き雨も横殴りになった。友人夫婦と我が家で夕食を共にした。テレビは台風の気圧が925ミリヘクトパスカルに下がり最大風速は50メートルと伝えていた。しかもコースは八重山を直撃すると予想。雨戸を閉めて台風にそなえた。いつものように植木鉢を壁に寄せ、門の扉を大きい植木鉢で固定していた。飛びそうなものは仕舞いいつもなら万全の態勢だった。雨戸の節穴が笛のように鳴り出し不気味な音に友人夫婦が「タクシーを呼んで欲しい」と言うのでホテルに車で送った。友人夫婦と別れた午後10時ころには暴風雨圏内に入ったころだった。レンタルビデオは客が列を作っており、お目当ての「モーターサイクルダイアリーズ」がすでに出ており諦めて家に戻った。床に就いたのは午前0時近かった。停電になったのはそれから間もなくだった。クーラーが止まったが、雨戸とアルミサッシの隙間から風が入り、寝苦しくはなかった。猛烈な風が吹くと雨の音はかき消され今までに聞いたことのない轟音が響き、雨戸がガタガタと鳴りだした。ついに猛烈な台風がやってきた。つづく

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2006年9月13日 (水)

4ヶ月ぶりに海で泳いだ。石垣島の米原海岸は大和ハウスがリゾートホテル建設を予定している海岸なんだけれど、平日にもかかわらず駐車場は満杯で、さすが石垣島人気ナンバーワンのビーチ。大和ハウスがいつまでたっても建設計画を撤回しないので、いつまでたっても大和ハウスのリゾート開発で環境破壊から米原海岸を守ることをブログに書き続けることになる。友人達もいつまでも大和ハウスが環境破壊をやる企業だということをブログで発信しつづけることになる。ここ何年も潜っているが今日は新しい発見があり嬉しかった。クマノミの巣を2箇所発見した。クマノミは巨大な人間から巣を守ろうと必死に威嚇する。人間は鯨のような動物が近づいてきたときにそんな行動ができないだろうと、考えるとクマノミの勇気は見習うべきものがあるな。たいした魚だ。今回の旅の目的はドキュメンタリー映画の音楽とナレーションの録音で、昨日収録に成功した。音楽はまったくのアマチュアだが可愛らしい声の持ち主の30代の女性にサンシンを弾いてもらい八重山地方の民謡を歌ってもらった。ナレーションは50代の女性で民話の語りをやっているセミプロの方にお願いした。これで今回のドキュメンタリーの素材が全てそろった。雪が降り始めるころには完成させようと思う。しかし、英語版の制作もやらねば、英語の字幕を作る作業が残っているなあ。誰かいないかなあ、やってくれる人。

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2006年9月10日 (日)

10年

間もなく50歳に突入する。振り返ることはしない人生を生きてきたのだが、10年に一度くらいは反省を込めて記憶をたどってみようと思う。1996年は駆け出しのビデオカメラマンだった。それまでのスティールカメラからビデオカメラに持ち替えた頃だ。カメラは道具である。写真を撮ることは目的ではなく手段である。自分を表現するためには静止画像かムービー映像かは問題ではなかった。動きがあり音が入る映像表現が性に合ったのだろう、一気にのめりこんでいった。この間仕事を苦にしたことは一度もなかったし、日々の失敗が明日の糧になった。ライバルたちはすでに中堅、ベテランの域に入っていた。皆親切にも中年の新人にアドバイスをくれたのがありがたかった。恥は掻き捨てた。日銭を稼ぐ仕事以外にライフワークを持っていたことが明日への希望とつながった。夢と希望を実現するために家族の理解を得ようとかは全く頭になかった。精神的、経済的に相当な負担を家族にかけていただろう。昨日を振り返る余裕はほとんどなかった。この10年間にカナダには4回、ブラジルには2回、韓国やドイツにも行った。いや行かせてもらったというのが正しいだろう。ライフワークである先住民の文化や歴史を追い、昨年はドイツのポツダムでの映画祭に作品が正式参加できた。その前の10年の鬱憤を晴らすかのように駆け足で走ってきたこの10年だった気がする。ドキュメンタリー映画はこの10年で桁違いに安い費用で制作できるようになった。小型ビデオカメラの性能は放送用カメラと遜色ないくらいに高性能となった。またコンピューター用編集ソフトが充実してきたのもこの10年だった。技術革新には感謝している。しかし、皮肉にも世の中の進歩はけっして人類の幸福につながっていないことも知った10年だった。格差社会は12年前、取材に入ったメキシコですでに顕著になっていて、先住民が反旗を翻し資本主義経済の根幹を問う現場に立ち会った。日本で「格差社会」が問われ出したのは今年になってからだが、自由貿易は格差社会をますます助長すると主張したのはメキシコのジャングルに立てこもった先住民であった。彼らの思想は現代文明の闇に迫った鬼気迫る行動であった。サパティスタ国民解放軍を名乗った彼らはすぐに国民的英雄となっていった。歴史は学ぶのもではなく、自ら参加することであることを教えてくれた。岐路に立つときには彼らの泥だらけの長靴を思い出すことにしている。それまでは過激派の代名詞だった革命家チェ・ゲバラの本が日本の書店に並び、彼の伝記映画「モーターサイクル・ダイアリー」は世界中でヒットした。10年前は考えられなかった現象だ。敵を作る事を恐れることはない。きっと見知らぬ人が強力な味方になって現れるものである。八方美人になってあちこちに気を使う人生は疲れるじゃないか。長年の沖縄への思いが現実となり、一年間、家族とともに石垣島で暮らした。次男坊は5年間島に育ててもらった。彼は来年島の高校を卒業する。次の10年はどうなるのか、我々家族はどこで何をしているのだろうか。二人の息子たちは独立し再び伴侶との旅が始まろうとしている。我々の旅はまだ半ばである。

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2006年9月 6日 (水)

大和ハウスとリゾートホテルとCM

先日テレビ番組「ガイアの夜明け」が石垣島のリゾート開発を取り上げた。友人のブログ「八重山の散歩道2」でその内容が語られている。期待はしていなかったがこのリゾート開発問題で大和ハウスの企業名は出なかった。からくりは明白である。この番組のスポンサーがダイワハウスだからである。大和ハウスのグループ企業の大和リゾートが全国で31番目のリゾートホテル建設を計画している。仕事柄ニュース番組はほとんど見ているが主要チャンネルのニュース番組にスポンサーになっている。それも今年になってから急にである。大和ハウスのこの行動の時期は石垣島での環境保護運動が活発になった時期と重なる。なぜならダイワハウスがホテルを建設しようとしている場所が国立公園として指定されようとしている国内でも超一級の環境を持つサンゴ礁で囲まれた海岸であるからだ。海岸名は米原海岸。石垣島に行った人で米原海岸を知らない人は石垣島ファンもどきである。それほど島の人や石垣島ファンにはかけがえのない貴重な海である。ダイワハウスの環境調査ではこの海岸ではウミガメの産卵は限りなくゼロに近いという報告をおこなっていた。ところが、環境保護活動に熱心な住民によってそのウソは暴かれてしまった。今年に入って確認されただけで3匹のウミガメが産卵している。住民による調査では、生まれた子ガメは300匹以上であった。これは石垣市役所でも確認されている。ダイワハウスは企業イメージダウンを恐れたのである。かつて私は自身のヤポネシアビデオのホームページ日記で「本業に励みなさい」とダイワハウスに提案した。大和ハウス関係者は私の日記を定期的にチェックしているのでこの提案は耳に、目に届いているはずである。リゾートホテル完成後の海の惨状は明白である。いくらBOD(生物的酸素要求量)をクリアーする排水を流しても環境破壊は免れない。大和ハウスは現在、全国10箇所でゴルフ場を経営する企業である。いったい何本の木が切り倒されたのだろうか。切った木の数だけダイワハウスは植林したのだろうか。ゴルフ場となった森を元の状態に戻すのは人間の一生の年数だけでは無理である。少なくとも三回の人生が必要である。私は人生の一時期を山仕事をして過ごした経験がある。50キロの苗木を背負って山道を一時間かけて登り、10ヘクタールの伐採地に一ヶ月をかけてその苗木を植えた。もう20年前になる。その苗木はスギやカラマツであったのが今も心残りである。出来れば実のなる広葉樹を植えたかった。【極相林】とは、森が荒地から草原になり潅木が地表を多い始め、ある場所ではシラカバの林と成り、リスが何世代もかけてどドングリの実を運び、鳥たちが何十世代もかけてヤマブドウの種を運び、やがて森は本州では生命力あふれるブナの原生林、北海道ではミズナラの森へと成長していく完成された自然の姿をいう。森が熟成した【極相林】となるまでに数百年の年月を必要とする。その森をダイワハウスは一瞬にして破壊してきたのである。私はダイワハウスの営業を妨害するつもりは毛頭ない。繰り返すが「大和ハウス社員諸君、本業に励みなさい」 わたしは子や孫、その子どもたちの生きる権利をこれ以上奪わないでくれといっているに過ぎない。CMの影響力は多大である。だからこそ企業倫理が今、問われている。私はこの秋に北海道富良野で知り合いが進めているゴルフ場跡地に植樹する活動に参加しようと思っている。ダイワハウスの社員の誰かがこのブログを見たのなら一緒に植樹に参加しようではないか。そして地球の将来を語ろうではないか。あなたたちの子や孫のためにね。

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2006年9月 3日 (日)

9月は忙しいぞ

忘れかけていた仕事が再び動き出した。初めてのフィクション映画の撮影の再開。当初、今年の秋にはクランクアップの予定だったが来年以降になりそうだ。今回は出演者の交代があり、撮影スタッフは監督、カメラマン、音声の3人だった。出演者はほぼ全員が素人。大丈夫かね、こんな映画。もうやけくそだ。何とかなるだろう。もう一つ、歌手で作曲家の下田逸郎さんとのコラボで彼の歌にこれまで撮影したメキシコ、カナダ、ブラジルのドキュメンタリー映像を重ねたものがどうやらDVDになるらしい。この2,3日は再編集で睡眠不足気味だ。何人かの映像作家の作品を集めたDVDでそのなかの5分くらいの部分を担当した。短編だが集大成、記念碑的な作品に仕上がったと我ながら満足した。友人のやっているライブハウス「アミダさま」で以前試写をやったときはオーナーのツルさんは涙を流して見ていた。感動したといってくれた。これもいつごろ発売するのか、さっぱり分からんけど。大晦日までには何とかなるだろうか。映画のシナリオもまだだ。これから釣りシーズンなのにあれこれ忙しい。新しいドキュメンタリー作品のナレーションと音楽の収録も待ってるしなあ。明日、いや日付が変わったので今日の天気が微妙だ。釣りにいけるかどうか。支笏湖で1週間前に逃げられた虹鱒の大物(60センチは超えていた)手応えがまだ残っている。それにしてももの凄いひきだったな。

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