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2006年11月28日 (火)

事件

ここ数日、殺人事件の取材で地方に出かけていた。まだ解決に至ってないが家庭内での犯行との見方が強い。別の場所でも家庭内での事件があった。このところやけに多い。子殺し、親殺し。家族に殺意を抱くまでの過程で何が起こったのか知る由もないが。

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2006年11月21日 (火)

談合事件と教育基本法案と沖縄

市内から見える樽前山が雪化粧しだした。支笏湖のフライフィッシングの釣りはそろそろ終わり。今年の釣果はアメマスを除くとレインボウ・ブラウントラウトあわせて14匹。例年だと20匹前後なので不漁の年となった。大物に何匹か逃げられ悔しい思いをした悔いの残るシーズンだった。しかしながら最高は58センチのブラウントラウトでこれまでの最高記録を出したので、まあ良しとするか。

最近、談合事件が次々と明るみになり、世間をにぎわしている。どうしてここに来てこんなにぞろぞろと出てきたのか。理由は教育基本法の採決時期と重なったことだ。国の重要法案を政権党が無理やり通す時によく使う手だ。国民の関心をそらすために、こういったスキャンダルなどを貯めておいて、時期をみはからってから逮捕劇を演出する仕組みになっている。日曜、朝のTBSサンデーモーニングという番組で毎日新聞の論説委員は、談合事件が続く理由は謎だ、と口を濁していた。しかし、彼にはそんなことは始めから判っている事なのだ。公には言えないだけ。沖縄の知事選も控えていたのも重なる。自民、公明の推す候補が敗れたら日米同盟が根幹から崩れる恐れもあったからね。結果は34万票対30万票。だから、自民党、公明党の役員はほっとした顔をしてたし、負けるかも、と本心思っていたはずだ。沖縄の基地を県内に移設することが、沖縄県民の負担軽減になるはずがないのは小学生でも分かる。いつまで沖縄の理不尽は続くのか、この国の民主主義の限界なのだろうか。

談合、教育基本法、沖縄。この3つのキーワードは密接に絡んでいる。偶然ではなく、必然。これが民主国家、美しい国ニッポンの仕組み。

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2006年11月17日 (金)

引越しと古事記

この2年間で3回目の引越しが15日に終わった。引越し癖がついてしまったが、引越しが好きでやっているわけではない。必要に駆られてやっているわけで、なるべくならばやりたくなかった。苫小牧ではここで4軒目になってしまった。インターネットもADSLから光に変わり、環境が良くなったがこっちの引越しに手間取り、5日間はネットから外れた生活を送った。いかにネットに頼った生活をやっていたかが分かり、アウトドア人もネット頼りになってしまってはどうも、砂地獄にはまっていくようで怖い。これから冬に突入してPCの前に座る日が多くなりそうだ。

教育基本法の成立がほぼ決まったようで、釈然としない。天皇制を中心とした「美しい国日本」か。皮肉にも教育界に溜まった膿がどろどろとでてきた。教育する側に対するされる側の最後の抵抗だ。未来ある子供たちの自殺を「美しい教育基本法」が救えると、本気に思ってるのかね。自民党と公明党の諸君は。アホかあんたたちは。

最近、その美しい国の体制成立を描いた「古事記」を読んでいる。今までは古事記など、存在しか知らなかったがあらためてじっくり読んでみると、たいした書物ではないことが分かった。しかし、イザナキとイザナミの子作りの場面は興味深かった。今読んでいる角川ソフィア文庫版にはそのセックスシーンが具体的に書かれてある。現代語訳ではこういうふうに子作りをやったそうだ。長くなるが

---イザナキ・イザナミはこのオノゴロ島に降りて、結婚のための聖なる太柱と広い神殿を建てた。そしてイザナキがイザナミに「あなたの体はどんなふうにできていますか」と尋ねた。イザナミは「私の体は完成しましたが、塞がらない裂け目が一か所あります」と答えた。するとイザナキが「私の体も完成したが、よけいな突起が一か所ある。だから、私の体の突起したものを、あなたの体の裂け目に差し入れて塞ぎ、国生みをしようと思う。国を作りたいがどうだろうか」と誘うと、イザナミは「それはいいですわね」と賛成した。---

そのあとのシーンが面白い。

---そこでイザナキは「それじゃあ、二人でこの聖なる柱を回り、出会ってから交わりをしよう」と言った。そう約束してから、イザナキは「あなたは右から回りなさい。私は左から回ろう」と言って、互いに柱を回った。出会ったとき、女神のイザナミが先に「まあ、すてきな男ねえ」と言い、そのあとで男神のイザナキが「ああ、いい女だなあ」と言い、ほめ言葉を唱え終わったのちに、イザナキがイザナミに向かって、「女が男より先にとなえたのはよくない」とこぼした。---

最初に生まれた子ども水蛭子(ひるこ)は育たず葦舟に乗せて捨て、次に淡路島を生んだ。このあとに四国、隠岐、対馬、佐渡、そして、最後に本州を生んだ。という話である。有名人のアマテラス、スサノオ、オオクニヌシが登場し、ヤマトタケルが先住民族(クマソ、イズモ族)を殲滅する話はずっと後になる。

神話にしては、軽い! 漫画チック。 男尊女卑はこの頃から始まっていたのだな。「美しい国」では男の言う前に女が発言してはならないのだ。日本に入らない北海道はその頃、アイヌの天国であっただろう。小学校で古事記を習った記憶がないが、この国作りの話をどうして教えないのだろうか。新しい教育基本法でもって日本の国のできた歴史を教えないのはどうもげせん。受けるぞー、この話、子どもたちには。国作りごっこが流行するな。

この物語から読めるのは、最初の天皇家の祖先は海洋民族だったのではなかろうか。とすると僕が常々考えているポリネシア起源がまんざらウソではないような気がしてきた。すでに日本列島が今の姿になってからの話なので世界的に見るとそんなに古い物ではない。やはり二千年くらい前に列島にやってきた渡来人の物語であろう。ポリネシア系から朝鮮系が天皇家を乗っ取ったのかもしれないし、入り交ざったのかもしれない。現在の天皇も朝鮮の血が入っているのを自ら認めてもいるし。

アイヌの叙事詩のほうが面白いぞ。宇宙戦争の描写なんかあったりして。古事記と平行して読んでいるグラハム・ハンコック「神々の世界」は一万年前に栄えた文明を探すノンフィクションでエジプト、メソポタミア、インダス各文明の前に繁栄し今は海中に眠る遺跡を探る話で古事記と比べてしまうと壮大でわくわくする。やはり在ったのだ。突然農耕文明が始まるわけがないし、今は海に沈んだ文明を受け継いでいるのだ。我々は。

しかしこの文明も最後が近い様な気がするこのごろであるな。

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2006年11月10日 (金)

愛情か愛欲か

昨日タイトルに「愛」の文字をつけたらとたんにアクセス数が倍増した。みんな「愛情」に餓えているんだなあ。それとも「愛欲」のほうと勘違いしたひとがアクセスしたのか。後者の方がたかも---

ドキュメンタリーを制作する側から今日テレビでアメリカのドキュメンタリーを見ながら感じたこと。内容は、社会的経済格差を取り上げた番組だった。登場する人物が素顔をみせて本音で語っていた。日本でドキュメンタリーを作る場合、最近は顔を隠すか、モザイクを掛ける手法が目立ってきている。特にニュース番組で目立つ。海外では社会的問題を取り上げるとき、登場者がすすんで素顔を見せることが多いし、自らすすんで番組制作に協力的なのだろう。日本ではどうも取材される側のテレビに対する信頼が欠けているように思えてならないからだ。これはどういう差があるのだろうかと常々感じてきた事だ。取材する側に問題があるのだろうか。まだまだメディアの成熟度が足りないのかもしれない。個人情報の保護で、テレビ画面から人の顔が消えるときが来るのだろうか。制作者側としては、アメリカ型の社会のほうが問題解決への道が開けやすいと考えるのだが。メディアはもっと信頼され、社会的弱者はもっとメディアを信頼して欲しいし、いい意味で我々を利用してくれたらと思う。

顔を隠す理由としてもう一つ考えられることがある。テレビに顔が出た場合、攻撃を受けることがあるからだ。番組を見た人からの嫌がらせやの電話、郵便物が届くからだ。それも匿名による攻撃が圧倒的に多い。典型的な例が、現在進行中の北朝鮮による拉致被害者の家族への攻撃、数年前に起こったイラク人質事件の被害者への嫌がらせなどだ。日本社会のいじめ体質がそうさせるのではないだろうか。いわゆる「村八分」の伝統がいつまでたっても消えない。この社会では、目立ってはいけない、なるべく控えめに生活しなければといった自己犠牲が強いられる。日本はその意味で全体主義社会だ。戦前の社会と体質はそれほど変わっていないのではないか。小泉前首相が吐いた「自己責任」という言葉が流行すると、その流れに乗った人々が個人攻撃に走るのがその証拠であろう。「赤信号、皆で渡れば怖くない」タケシ流思考が、赤信号で止まる人を白い目で見始める社会はぞっとする。

核開発論議を、と訴える政治家の狙いはそこにある。世の中から核開発というアレルギーを取り払い、免疫力を社会に植えつける論法が裏に見え隠れする。論議さえすればこっちのものだという流れは、ここで止めなくては手遅れになってしまう。広島の原爆資料館にも行ったことがない政治家に核開発の【カ】の字も言って欲しくない。

アメリカでは民主党が議会で過半数を獲得した。ブッシュ政権は事実上終わった。あのラムズフェルドが画面から消えたことだけでも世界の良心をもった市民は胸をなでおろしていることだろう。威勢のいい自信に満ちたブッシュJRの顔が引きつっていた。そりゃそうだろう。戦争犯罪人として裁判で裁かれるのが今になって怖くなって来たらしい。ブッシュの親友の小泉さんは、今こそアメリカに行って大統領に慰めの言葉のひとつでも掛けてやるべきだ。それが親友というもんだ。

愛情を持つ人と愛欲に駆られた人がここにきてはっきり分かれてきた。最後は無理やりタイトルに絡めた。

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2006年11月 9日 (木)

愛を唄う詩人

昨日の記事で初冬に鳴る雷を「雷起し」と書いてしまった。「雪起し」の間違い。ふと気がついて苦笑いしながら訂正しておいた。気づいた人も笑ったことだろう。雷起しじゃ、お菓子だ。

先日、シンガーソングライターの下田逸郎さんからDVDの完成披露パーティー&ミニライブと忘年会と一緒くたにした飲み会の招待状を頂いた。このDVDには下田さんの撮影した旅の映像や他数人の映像作家の作品が収められている。ぼくの映像も入っている。下田さんの唄と我々の映像とのコラボレーション作品でタイトルは「この世の夢 あの世の唄」となった。下田さんの唄は「愛」を語る唄が多い。、僕が「愛」を語ることは全く想像できないし、考えただけでも恥ずかしい気がする。しかし、ぼくよりも一回り年上で、初老の域に入りかけたと言えば失礼かもしれないが、彼が唄うとピタリとはまるから不思議だ。ちなみに僕の作品には「1999年のラブソング」という唄が流れている。唄からは全く想像できない映像も入っていると、編集当時は考えていたのだが、何回か聞いていくうちに、ピタリとはまってくるのだから不思議だ。

「愛の言葉じゃだめ 命ごと抱きしめて」と始まる歌詞には、1994年にメキシコで起こった先住民の反政府軍と政府軍との戦争で、ジャングルでライフルを担いだり、空に向けて発砲したり、馬に乗った反政府軍の兵士たちの映像から始まる。そしてカナダ、ブラジルの映像と続く。

そのほかの映像で印象に残っているのが、見事なまでに人間に似せたマネキンたちを撮った作品だった。DVDがいつ発売されるのかは分からないが一見の価値はあるので、その時はお知らせしたい。

下田さんとの出会いで、僕の撮影した映像の根底にはもしかしたら撮影対象者に向けた「愛」がテーマに在ったのではないかとも思ったりしてきた。九州で生まれ育ったぼくは照れ隠しをしてきたが、本当の自分の撮影テーマに気がついたような気がしている。

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2006年11月 8日 (水)

竜巻

北海道を竜巻が襲った。死者9人の大惨事となった。犠牲となった方々のご冥福を祈らずにはいられない。自然現象による災害は他人事ではない。明日、自分の身が安全である保障はどこにもない。北海道では地震、火山噴火、津波と15年暮らす間に全て起こっている。今回の竜巻は低気圧の通過によると言われている。苫小牧でも今日は落雷が頻発した。この時期は普通、寒気が入ることによる雷が発生する「雪おこし」というのが通常のパターンだが、今回は暖気が関係しているらしい。こんなことは聞いた事がない。ついこの前に地球高温化(温暖化ではなく)の話と書いたばかりで驚いた。こんな地球に誰がした。我々人間である。

地球的歴史でいうと1万5千年前、1万2千年前、8千年前ごろに大規模な氷の溶解が起こり、文明が消えたという本を今読んでいるところだ。与那国島の海中遺跡はかつての文明の痕跡だという。インド洋、カリブ海、など世界中に海中に沈んだ都市が眠っている。これらの災害はほぼ自然現象によるものだろうが、今の地球高温化は間違いなく、産業革命以降の石炭、石油資源の使いすぎによる二酸化炭素の増加。否定する人間が居ればよほどの無知か傲慢な輩に違いない。

ではどうすれば地球温暖化は防げるのか? その答えは皆、分かっている、がやめられない。原子力はどうかというと、その原子力発電所を保持するには結局、化石燃料が必要となってくるので解決策にはならない。水素を原料にした車も発明されているが、それをやると石油企業がつぶれるので時の権力者は企業の利権を守り、自分自身の保身のためにそれをやらない。化石燃料を使わないキャンペーンをマスコミもやらない。われわれは今日、亡くなった9人のように黙って死んでいく。黙殺である。

それなのに健康ブームで長生きしようと皆必死にダイエットに励みフィットネスクラブなんかに通っている市民の姿は哀れだ。肉体はいずれ滅びる。前回も書いたように魂を磨く以外に何が出来る。

リゾート開発だって!? バカの極致はダイワハウス。もっと他にやることがあるだろうに。そんなことやってる場合か。

そのバカの上をいくのが自民党の中川政調会長(北海道出身の2世議員のお坊ちゃま)。核開発を論議しようってか。地元に帰ってお見舞いにでも行って来い。

化石燃料は早く使ってしまおう。次の文明に生きる子孫のために。

遺言めいた話になったな。

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2006年11月 7日 (火)

テレパシー

11月に入ってやけに暖かい日が続いたがそれも今日までとなりそうで紅葉も終わった。ドキュメンタリーの新作の編集がようやく終わったが来月の上映会の準備作業が続いている。今回の作品の主人公、新城さんは舟大工である。杉材を使って一人で舟を造っている。彼の作業を見ていると、人間の能力はたいしたものだとつくづく感心する。

現代において人類の能力は発達しつつあるのか、それとも衰えつつあるのか。自分で物を作ったり、自分でものを考えたりする力は失われつつあるような気がしてならない。全て物は買うものと思っているひとが自分を含めて大半だろう。我々は思考が停止してはいないだろうか。78歳の新城さんは今の自分の仕事に満足することなく、常は新しい工夫を考えてきたと言う。こういう人が文化を育んできたのだが、彼には後継者は居ない。こうして文化は消え、文明は衰退に向かう。生活上、便利になると自分では何もしないで済んでしまう。縄文時代のほうがよっぽど人間の能力は上であっただろう。当時は六感をそなえていただろう人間はいまや五感も衰えてきた。

僕の友人であるカナダ先住民のアルビンにテレパシーをどう思うかと質問したら、彼は「今でもテレパシーは使う」と話す。内陸で住む彼らの土地で大雨が降り、川が土砂でせき止められて、冬の食料であるサケが溯上出来なくなった時テレパシーを使って海の仲間にそれを伝え、サケを送ってもらったという。今では現代式の生活をする彼らだが、リゾート開発から自分たちの伝統領土を守るために山で丸太小屋生活する40歳になる友人は、自然のなかで生活するうちに動物と会話できるようになったと言っている。我々日本人がすでに失った能力を持つ人々はまだ地球には大勢が生活している。ブラジルで狩猟生活をする友人たちも同じ能力を持っている。そんな能力に少しでも近づこうとせっせと湖に釣りに出かけ自然と対話してきたつもりだが、どんなもんだろうか。カラスとは仲良くなった。弁当を分けてやったカラスには魚の居場所を教えてくれるやつもいる。周りにいた釣り人が全然連れないのに、カラスがカアカア鳴くところで釣ってみると入れ食いになったことがある。偶然かな。

文明の目的は物質的な豊かさを追求することではなく、心の豊かさや精神(魂)を磨くことを追求することにあると最近読んだ文章に共感するこのごろである。

まだまだ修行がたらんな。

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