« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月31日 (日)

大晦日と大和ハウスと魂

昨日、イラクのフセイン前大統領の絞首刑が執行された。独裁者の惨めな最後だった。これで、イラクが平和になるなんて、誰も思わない。ブッシュ米大統領も認めている。フセインが死んだことで、イラクの内戦に油を注ぐ結果にならないかが心配だ。ブッシュの尻拭いをだれがやるの?

世界的な独裁者がニュースをにぎわしている中で、日本の南にある小さな島の小さな村で起こっている問題。大和ハウスが石垣島にリゾートホテルを建設しようと企んでいる。その大和ハウス本社(大阪市)に今年の1月、石垣島の米原海岸にリゾートホテルを建てないようにと抗議に行ってから間もなく一年が経とうとしている。当時は地元の村のリーダー「公民館長」さんはホテル建設反対だったと聞いていたのだが、いつの間にか賛成に意見が変わっていた。それだけではなく、いつのまにやら石垣市に、地元住民はホテル建設に賛成と独断で報告していたのだから、驚きだ。要するに開発側の一本釣りにあったわけだ。「もしも賛成してくれた暁には何がしかのお礼金を差し上げます」とか「ホテルができた時は何とか係長か課長になってもらいます」という誘いがあったかどうか知らないが。こういうのを「チョロイ男」と僕は呼んでいる。「尻軽男」の方が似合うかもしれない。小さな村の小さな独裁者、アー情けない。本土の企業に魂を売ったウチナンチュとして後世にその名は受け継がれていくであろう。その彼をまんまと釣ったダイワハウスという企業に石垣市長も釣られた。どうしてもリゾートホテルを建てたいらしい。彼もチョロイ、尻が軽い。魂を本土の企業に売ってしまったのか。

怒りの大晦日で今年は終わり。

明日はプラス5度まで気温が上がるのでお神酒を持って初釣りに出かけよう。北海道に来て18年になるがこんな暖かい正月をむかえるのは初めてだ。大漁祈願。

| | コメント (0)

2006年12月29日 (金)

大和ハウス石垣島のリゾートホテル建設強行へ

石垣島の大和ハウスが建設を計画しているリゾートホテル問題についてこれまで何度か書いてきたが、環境保護を訴えている地元市民がついに27日、石垣市の大浜市長と直談判し、建設反対を求めた。直接には建設予定地の農地を開発可能な土地に転用しないように求めた異議意見書を1万573人に達した反対署名と共に提出した。

市長が直接、開発に反対する環境保護派の市民と直接会うことは珍しい。市長は意見書を受け取り「重く受け止める」と言ったそうだ。市長は異議意見書の重さを知っている。この意見書を却下するようなことになればどうなるかよくご存知のことであろう。この大和ハウスのリゾート建設問題は法廷に場所を移すことになるからである。もしも提訴となれば、大和ハウスが環境破壊を続けてきた企業であることがバレバレになる。大和ハウスはこのために東京のテレビ番組のスポンサーになりせっせと金をつぎ込んで、なるべく穏便に報道してもらおうと、環境破壊企業としての大和ハウスのイメージ少しでも和らげようとしてきたわけだ。

大和ハウスは、地元で建設に関する説明をまったくと言っていいほどやらずに、地元企業に地元の一部の賛成派住民をおいしい餌で釣らせ、地元住民があたかも建設を賛成しているかのように、大和ハウスは自らの手を汚さずに建設賛成へと仕掛けてきた。http://plaza.rakuten.co.jp/daiwadaisuke/

石垣市には住民が賛成しているかのように説明させ、市は県に農地の転用を許可するように働きかけを行った。http://plaza.rakuten.co.jp/inunoosanpohonpo/diary/ この過程にウソをつかなけらば通らない無理があった。建設予定地の海はサンゴがほとんどなく、ウミガメは産卵することもない、とウソの報告をのうのうと行政に垂れ流した。このウソは環境保護派による徹底した現地調査によってあっさりとばれてしまった。映像によるサンゴの海を豊かさが再確認され、http://www.churaumi.net/yonehara/ ウミガメの産卵がひと夏に3度も確認された米原海岸はもはや自然の宝庫で有ることは誰の目で見ても明らかになった。http://www.save-yonehara.org/ でその映像が動画で見られる。

今年行われた石垣市長選挙で大浜市長は、米原のリゾート開発を容認する趣旨の発言を行っていた。選挙資金が大和ハウスから流れたかどうかは定かではないが、これまでの無理やりとも言える石垣市の手法を見ていると疑いたくなってしまう。いや、もしもそうであれば、全てが納得できる。またそうでない事を願ってはいるが---。

今月の10日にドキュメンタリー映画の上映会を開催した時に僕はある人に招待状を送っていた。その人は体調を崩していたために僕の映画を見ることができなかった。石垣島の人気月刊誌「やいま」で金城朝夫のペンネームで政治コラムを書いていらした在野のジャーナリストで、僕が石垣島で働いていた頃に大変お世話になった方だ。今日、入院先で僕のドキュメンタリーを見てくれたそうで大変感激されていたと、ご家族の方から伺った。彼なら大和ハウスの問題についてどんな記事を書いただろうかと常々思っていた。今日は彼の視点を借りてこの日記を書かせてもらった。

ボールは行政へと投げられた。受け取った石垣市や県の判断次第でボールは大和ハウスへと投げられる。フェアープレーかどうか、裁判所と世論が審判を務める。

| | コメント (0)

2006年12月25日 (月)

年の瀬

インクジェットの年賀状を買ったつもりが普通紙だった。ところが少しざらついた風合いがかえっていいかもしれない。来年も成り行きしだいの年になりそうだ。できれば新作のドキュメンタリー「波の記憶---新城康弘の物語」を宮古島、那覇、福岡、大阪、東京、と最後に北海道で上映したい。と漠然と考えている。自然体で、ときには過激に、時には温和に、あるときは沖縄にまたあるときは北海道に。神出鬼没、七転び八起き、待てば海路の日よりあり。そんなふうに過ごしたい。俊敏と忍耐を兼ね備えた自分でいたいと思っている。家族4人、それぞれ方向性が見えてきたのが、一番の収穫だった。早くも一年を振り返るときになってしまった。

| | コメント (0)

2006年12月22日 (金)

都市景観

沖縄県石垣市の「都市景観計画」の骨子が発表された。中身は素晴らしい!

が、抜け道があるようだ。 罰則規制がないのでこう在ってほしいな、という計画。 島全体を市街地、農地、観光地の3つのゾーンに分け、建築物は沖縄県産の赤瓦を使い、高さもかなり低い設定で、この計画だとダイワハウスのリゾート計画はほぼ無理。だけども、高さは守ってくれたらいいな、くらいの効力しかないらしい。ダイワハウスの作るリゾートホテルは計画ではやや高い。まさか、ここでテーゲー主義をもちださんだろうな。石垣市は。このくらいならOK。どうも、こうなりそうだ。

このところ、やけに暖かい日が続いている。ここ苫小牧では積雪がゼロ。この冬は雪がちらついたが、さっきなんか雨が降っていた。地元の新聞によると、ここ50年くらいの観測史上、初めてのことなんだそうだ。

やっぱり地球は高温化している。地球の平均気温が一度上がるとどうなるか。赤道近くでは島が沈み、膨大な量の水蒸気が舞い上がるだろう。台風が巨大化する。極地でマイナス一度だったところが0度に上がる。当然氷が解ける。氷が解けた陸地ではその重さで沈んでいた地盤が盛り上がる。陸地のバランスが崩れて、活断層なんかが活発になって地震が増える。一万年以上前に栄えた文明はこうやって、地震と大津波で崩壊したらしい。海面は氷河期最盛期よりも100メートル上昇した。その証拠が与那国島の海中遺跡なんかや地中海、インド洋、カリブ海なんかに沈んでいる巨石遺跡だという。古代都市の景観はどんなだったのだろう。

そろそろ、現人類も覚悟を決めた方が良さそうだ。

とりあえず、明日も気温が上がるので、しまって置いた釣り道具をひっぱりだして支笏湖に行こう。そして、人類の未来について思いを馳せようか。  

酒を飲んでキーボードを叩くとどうもテーゲーな日記になるってしまう。

| | コメント (0)

2006年12月16日 (土)

帰宅

15日の夜10時に帰宅。石垣から12時間もかかった。羽田発スカイマークエアーラインの欠航でこんなに時間がかかってしまった。頼むよスカイマーク。

石垣島での上映会は良かった。島から帰る前日に苫小牧では石油ストーブの不完全燃焼が原因でCO中毒で7人が犠牲になった。どうして苫小牧は事件事故が多いのかな。判らん。

帰宅すると新聞が扉の新聞入れからはみ出していた。新聞と混じって友人の母親が今年亡くなったので年賀を失礼したいとの葉書があった。友人たちもそんな年代になったのだな。

| | コメント (0)

2006年12月13日 (水)

波の記憶 

石垣島は北海道に比べると日中の気温は20度以上も高く、僕にとってはまだ夏である。昨日は小一時間ほど米原海岸でシュノーケルを楽しんできた。

ドキュメンタリー映画「波の記憶 舟大工 新城康弘の物語」が石垣島で上映された。島の皆さんのおかげで盛況な上映会となった。会場は40人が限度の喫茶店ではあったが、2回の上映とも満員のお客さんが足を運んでくれた。上映前に地元紙の八重山毎日新聞が投稿記事を掲載してくれたのが有難かった。新城さんはその記事を見てから、上映が本当にあるらしいと分かったようだった。「新聞紙上をにぎわしているな。映画をやるそうだねと何人かから言われた」と言ってわが家に駆け込んできた。ひと月前に手紙を送っていたのだが本当に上映するのかどうか、どうも半信半疑だったようだった。全く気にしていなかったが、上映会は大安吉日にあたった。信仰心の厚い島の人たちなので、結果的にこの日を選んで良かった。

当日はまずまずの天気で会場のカフェ・タニファには一時間前の夕方5時ごろに入った。店主の栗さんがすでにテーブルや椅子を片づけていてくれて、丸いすを並べて準備は整った。そうこうするうちに新城さんが到着し、続いて娘さんのやす子さんが花束を持って入ってこられ、新城さんといっしょに僕はとその花束を頂いた。

6時直前まで人はいなかったが始まる時間までには席が埋まった。ナレーションの崎山さん、唄・三線の石垣さんの顔もみえた。この二人のおかげで映画の質がどーんとあがった。通りのいい声は、ボリュームをあげなくとも耳にはいった。音楽はゆったりとした八重山の古典民謡を、若い石垣さんが情緒豊かに歌ってくれた。2人とも映画の仕事は初めてなので、「私でいいのかしら」と不安を持っていたようだったが、上映後は心から喜んでくれた。終わったあとの新城さんの話がおもしろかった。3年前だった。初めて造船場にお邪魔したときに恐る恐る、やす子さんに撮影しても大丈夫かどうか聞いた。「大丈夫じゃない」と言われ本人に合うと、以外にも取材に気易く応じてくれたのを思い出す。職人は仕事場に人が入ることを極端に嫌う。自分でもそうなのだから、なるべく邪魔にならないように気を使った。何回かお邪魔するうちに友だちになり、電灯を持って山にヤシガニを捕りに行ったり、夜の海に潜り魚をとりに出かけるようになった。「この人はカメラマンなのに、こんなことして変わった人だなあ」と思っていたという。当時も今になるまで、僕の作品を新城さんには見せていなかったので、僕はそこいらにいる遊び人くらいに思われていたのが、ようやく上映会で分かった。最後、新城さんが涙を流して喜んでくれたのが嬉しかった。「とこさん、あんたこれならプロになれるぞ!」という有難い言葉も頂いた。「とうちゃんはすごいね」と言ったやす子さんの言葉が忘れられない。

撮り残したシーンを昨日撮ってきた。新城さんは全長8メートルを超える舟を完成させていた。2000年、20数年ぶりに再開した仕事は今年も途絶えないようで、「80歳近くになって舟の仕事がまたできるなんて、人生分からんものだなあ」 親子の歳の差がある新城さんに僕は負けられないし、まだまだお元気なので、あと20年や30年は現役の船大工でいてもらいたいと思っている。

上映会には姿を現さなかったが撮影に協力していただいた元漁師のよへ名さん、農学の先生の石川さん、鍛冶屋の池村さん、金物屋の玉那覇さん、写真家の添畑さんには特にお礼を申し上げたい。「にいふぁいゆ、ありがとうございました」 

この映画は来年から徐々に北上していく予定。ちなみにDVDは発売未定。上映会を優先させたいと思っている。

| | コメント (1)

2006年12月 6日 (水)

幻のスモークサーモンと大和ハウス

今朝早く交通事故でまた一人が亡くなった。トラックと正面衝突をして軽自動車に乗っていた男性が犠牲となった。その自動車は見覚えのある車だった。ナンバーが1だったので以前横を走っていた車だったのを思い出したからだ。新聞ではその人は僕より若い無職となっていた。なぜ、無職だったのか。朝早く何処に行こうとしていたのだろうか。

楽しみにしていたスモークサーモン作りが見事に失敗に終わった。確かに煙の温度がやや高かったが、どうも新鮮な魚ではなかったようだ。しかも、ダンボールの中で燻したので、紙の中に含まれている薬品の味がして食えたもんではなかった。カラスも見向きもしないだろうスモークサーモンになってしまった。まだベランダに置いたままだ。前回は湖で釣ったブラウントラウトを丸のままスモークしてうまくいったのに、残念---。

大和ハウスの石垣島リゾートホテル計画問題で進展があったようだ。建設予定地の農地が開発可能な土地に変更となった。いよいよ始まる。これから本番の闘いが。ボールはこっちに投げられたことになる。しかし不思議なことに石垣市側には正式な建設計画が知らされてないらしいが、どうなってるのかね。順序が逆だろう。普通は開発側が行政に対して開発の意思を伝え、それから行政が農地を開発可能な土地に変更するのだろうけれども。なんか変だな。この仕組みは。何か裏があるな。石垣市の担当者が順番を間違えただけかもしれないが、そうとなるとお粗末な失態であるな。どっちにしろ、でたらめな開発計画を無理やりすすめようとしていることには変わりがない。一番びっくりしているのがダイワハウスだったりして。

大和ハウスの罪は自然環境の破壊だけではない。20年ほど前、大和ハウスが計画した長野県飯綱高原リゾートホテル問題(住民運動により大和ハウスが撤退)では、大和ハウスが地元の村を賛成派と反対派に分裂させたことが大きな罪だった。開発側の大和ハウスがこの構図を意図的に作ろうとしているのは明白であるし、この分裂工作はかつて常套手段として使われてきた。三池炭鉱闘争、成田空港の三里塚闘争、苫小牧では王子製紙の労働争議など全てがそうであった。想像するに、大和ハウスに雇われた企業の危機管理を専門とする目黒の鮫島なる男などがこういった進言をしていた可能性がうかがえる。この作戦にのると厄介なことになる。地元住民の分裂だけは避けたい。

石垣市の大浜市長はよそ者が関わると話がややこしくなるとか発言したそうだ。市長の考えるよそ者とは島外からの移住者のことだろう。市長は民族自決主義者だろうか。かつてアフリカ諸国が独立した1960年ごろの動きを石垣島にも当てはめようとしているのかも知れない。島人の将来は島人で決めたいのだろう。それはそれで判らんでもないが、石垣島は一度大津波で全滅しているのでいわば、皆よそ者。石垣島は合衆国であるとどこかのメディアが使っていたではないか。アメリカでは全人口の半数近くを占めるようになったメキシコ人などのラテン系を排除する動きが始まっている。メキシコ系アメリカ人は首都で数十万人規模のデモ行進をおこなってこの動きに反対の意思を示した。よそ者の代表者、関西資本の大和ハウスは環境保護派なんかより、はるかにしたたかである事を市長はご存じないらしい。人間的に見ると嫌いではない大浜市長なので手遅れでなければいいが。砂地獄にはまり込んだ市長は惨めな退陣を強いられる。新空港建設では名を残しそうなのに。

スモークサーモンはやっぱり新鮮な魚と天然木か石のスモーカーでつくるべきだった。安物買いの銭失いであったな、今回も。

| | コメント (0)

2006年12月 2日 (土)

編集完了

今月10日に石垣島で上映するドキュメンタリー作品「波の記憶 舟大工、新城康弘の物語」の編集が完了した。修整に修整を重ねてようやく終わった。一回目を石垣島と決めているが、この後の予定はない。できれば新城さんの故郷の池間島か宮古島と那覇でもやりたいと思っているが。

撮影を始めたのが3年以上も前で、一時期中断したこともあり、ようやくたどり着いた長い船旅のようだった。がしかし遣り残した字幕の英語訳の作業がまだ残っているな。これから長い冬が始まるので釣りが始まる来春までになんとか終了させたい。

| | コメント (0)

2006年12月 1日 (金)

この世の夢 あの世の唄

この冬は暖冬という予報が出たとたんに寒くなった。明日の最高気温は3度くらいらしい。サケを2本買ったのでスモークサーモンを作ろうと思う。塩、砂糖、ワイン、野菜で作ったソミュール液に三枚に下ろしたサケを今漬け込んでいる。明日あたりに取り出して、一日乾燥させたあとに煙で燻そう。これがワインにあうんだなあ。今から涎が出てきた。

先日、吟遊詩人(と僕は勝手に呼んでいる)の下田逸郎さんからDVDが送られてきた。タイトルが「この世の夢あの世の唄」 下田さんの唄と何人かの映像作家のコラボレーション作品だ。下田さん自身の撮影した旅、マネキン、女性の死体(かなりの美人のモデルか女優が演じている)、などが唄と共に映し出されていた。ぼくは日ごろニュースを撮っているので死体が出てきたときに「これはフィクションですか」と下田さんに質問してしまった。

「この世の夢」とはまさに現実と非現実との境を漂う世界。僕の撮ったドキュメンタリーは超現実の世界。マネキンや死体の映像は非現実世界ながらデパートやニュースで見る現実のもの。このDVDを見ているとどこまでが現実でどこからが夢の世界なのかが判らなくなってしまう。そんな不思議な作品に仕上がっていた。

下田さんが旅で出会った人々はジャンルがさまざま。彼の懐の深さを感じる。旅の魅力はそこにある。旅の出会いは予想をはるかに超え、五次元の世界に彷徨う自分を見つめることになる。旅は時空を超え、あの世の世界に漂う自分に出会うことになる。この30年の間に旅をした場面が次々に現れてくる。砂漠、ヒマラヤの山々、雑踏、物売り、銃声、古代遺跡、星空、朝日、牛の声、娼婦街、タクシードライバー、リキシャ、アヘンを吸う老人、薪を運ぶ少年、ホモの警官、病気の赤ちゃんを抱いた13歳の母親、カナダで森林を破壊する日本人企業家、サケを獲る人、ライフル銃を撃つ反政府軍兵士、獲物を射止めた森の人、ピラニアを釣る友人。舟大工の老人。そんな場面が次々と浮んでは消えていく。

あの世を歌う下田逸郎との出会いはこの世を彷徨う僕を再び、旅へと誘う。

うたびとたびびと---下田逸郎の旅と唄 「この世の夢 あの世の唄」は12月1日リリース。

| | コメント (0)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »