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2007年2月25日 (日)

翻訳ソフト

新作ドキュメンタリーの字幕を英語に訳す作業が終わった。一時間の作品を訳すのに2週間以上かかってしまった。でもそんなもんか。インターネットの翻訳ソフトやらワードの辞書、高校の時から使っている研究社の辞書をめくりながらの作業だった。翻訳ソフトで一度全文を訳してみたはいいが、支離滅裂の英文で参った。以前から使ってみてはいるが日本語には主語のない文が多々あるし、時制なんかはとくにいい加減だし、翻訳ソフトは当てにならない。たとえば誇張した訳文になるが「行って・みた・ことがある」という日本語は[go look there is thing] てな翻訳になってしまう。もっと高価な翻訳ソフトであればすんなりいくのだろうか。会話とナレーションの翻訳なので、ネイティブスピーカーの慣用語的に動詞プラスingを使う場面、with など前置詞の使い方がいまいち自信が無い。take,get,make,goの使い方をうまく使いこなせるようでなければねえ。高校の英語の点数はそんなに悪くなかった。一応勉強したんだが、今になって日本の英語教育法をうらむ日々である。英会話学校も最近のニュースではトラブルが多いと聞くし。

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2007年2月22日 (木)

事件簿-置き去りにされた母子

苫小牧市内で発生した事件はなんともやりきれない。

21歳の若い母親が幼い子どもをアパートの一室に置いたまま長期間留守にした。結果は報道されているように、、母親は付き合っている男性宅の物置にダンボールにいれた遺体を放置した。幼児はミイラ化した状態で放置されていた。児童相談所は母親の言動を不審に思い、警察に通報したことからこの事件は発覚した。

この事件、大方の意見は母親の育児放棄事件としてみなされている。一部では死体遺棄のほか傷害致死事件に発展するのでは、との見方もある。

育児放棄した原因は何なのか。なぜ、若い母親は我が子を死に追いやってしまったのか。この母親は3人の子供を生み、すでに次男は死亡、長男は児童相談所に保護されている。

鬼畜のごとき母親であることは間違いない。その鬼畜を育てたのは誰であろう我々ではないのだろうか。この社会がこの母親を鬼のごとく育ててしまったのでは、という疑問が頭から離れない。閉鎖社会が起した典型的な事件である。私たち日本人は戦後、経済成長を社会の目標に掲げ、大量生産、大量廃棄を何の疑問を持たず邁進してきた。使い捨てライター、使い捨てカメラ、使い捨てがはやったことはそんなに遠い過去ではない。

自分の息子を見ていても、この子に子供を育てられると思うかと問われたら、正直自信が無い。

まさか自分の子どもを使い捨てにする母親が自分の住む町で育ってきたかと思うと、やはりやりきれない。我が息子とは一歳違いのこの母親を育てた我々の責任は大きい。

すでに手遅れなのかそれともまだ間に合うのか。高度経済成長時代をわき目も振らず働いてきたお父さんたちにも退職後、もう一度社会の原点を見つめなおして欲しい。

社会は母親を置き去りにし、その母親は我が子を置き去りにした。

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2007年2月16日 (金)

大和ハウスが破壊する石垣島の将来

大和ハウスが開発しないようにと農地転用への異議の申し立てを市民から受けていた件で石垣市は却下するとの決定を下したそうな。

問題の土地は、大和ハウスがリゾートホテルの建設を計画している沖縄県石垣市の米原海岸に隣接する農地である。

この米原海岸、かつてオーム真理教がキャンプを張った言わば呪われた土地でもあるが、大和ハウスはこれでハードルを越えたのだろうか。答えはノーである。この決定はあらかじめ予想されたもので、環境破壊に関する裁判の前段階ではよく行政はこの手の誤った判断を下すことが多い。

ともあれ、大和ハウスの担当者の首が皮一枚で繋がったままであるが、その皮がちぎれるのは時間の問題である。彼らのうちの何人かは依然としてリストラ対象者のリストに載っている。

環境保護活動に邁進する勇気ある市民の皆さんは、この程度の行政判断でホテルが立ってしまうなんて悲観することは無い。

20年くらい前に長野県の飯綱高原でも同じようなことがあった。大和ハウスは市民の貴重な憩いの場であった保安林を伐採して開発しようとしたことがある。この計画で市民の起した行政裁判途中に大和ハウスは何の説明もなしに撤退していった。その時も市民は行政に対して異議申し立てを行い、行政不服審査請求そして裁判所に提訴という手順を踏んだ。その時は皆で力をあわせて無い知恵を絞り、弁護士なしで全て闘った。裁判手続きは意外と簡単だった。裁判所の職員が意外と好意的で親切に説明してくれた。その結果、大和ハウスは計画から撤退した。

この会社は最後まで黙して語らず、地域への説明責任を果たすことなく、ずるい姿勢を貫いた。石垣島と違ったのは、当時大和ハウスは地元市民全体に建設計画を説明会を開き、その誇大妄想的計画をぶち上げたという点である。撤退に際して迷惑をかけた地元には一切の説明も無かった。だから石垣島の建設計画を地元市民を対象に公開しないまま、リゾート計画を進めようとするその病的体質は以前より増して悪化している。というより、長野県での失敗を生かして、なるべく公開しないようにして、一部の人間にだけこっそりと計画を教えて、石垣市の担当者や市長、沖縄県の担当者に黄金の饅頭なんかを配って、うまく事を進めようとしている。

これらの味噌と糞の区別もつかない人間たちに石垣島の未来を任せるわけにはいかない。これだけは断言する。

最近の動きを見ていると、野党である保守系の市議からもダイワハウスが行っている、架空の農業法人を使った農地転用のやり方に違法性をしてきする意見が出てきたのは大きな進展である。

その他いろんな状況から判断すると、大和ハウスは傷口が広がらんうちに早く撤退した方いいのだが。

撤退する大和ハウスのリゾート計画担当者は左遷かリストラされるだろうが、そんなことは知ったことではない。どこかの大和ハウスが建てたマンションの管理人でもやればいい、もっと惨めなサラリーマンを五万と知っている。

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2007年2月15日 (木)

戸田杏子さんのこと

エッセイストの戸田杏子さんが亡くなって半年が経ち、息子の竜太さんから葬儀のお礼とともに彼女の文章を載せた小冊子が送られてきた。冊子のタイトルは「ギンカーオマイ」(タイ語でご飯食べていかないかい)という意味で、恐らくお孫さんが題字を書いたのではないだろうか。

ぼくが20歳のころ働いていた信州のロッジを戸田さんが訪れて以来の知り合いだった。児童文学、女性問題などの編集者として、また後年はタイ料理、動物園の本を出版した。北海道の動物園を取材された時は何度か我が家にも寄ってくれ、みんなでわいわいと食事したことを思い出す。そのころはタイ料理研究家の肩書きだった。タイ料理や文化を紹介したミニコミ紙「たまだあ」(タイ語で普通という意味)が届くのをいつも楽しみに待っていた。動物の写真と文章が載った「大きなポケット」という子供向けの雑誌も毎回送っていただいた。子どもたちはその本を見て育った。

2000年に亡くなった夫の薮内正幸さんは動物のイラストレーターだった。その薮内さんが描いたシマフクロウのポスターを最近になって再び壁に張ったばかりだったので、そのタイミングに驚いている。そのフクロウは等身大に描かれていて、足はカラフトマスを鷲づかみにしている。確か全国にも20枚くらいしかないという貴重な代物だ。目に力がこもっていてなんだか怠けそうな僕を見張っているかのようだ。

杏子さんは晩年、薮内正幸美術館(山梨県北杜市)の建設に力を注いだ。一昨年、僕の作品がドイツの映画祭に入選したことを知らせるとたいそう喜んでくれた。一度は行きたい美術館と思いつつ未だ実現していない。

薮内さんの遺骨をポリネシアのどこかの海で散骨したというお手紙を頂いて、僕もそうしてもらいたいと女房に言ったこともあった。その頃杏子さんは乳がんを患っていた。その後、彼女が亡くなるまで8年お会いすることはなかった。

はきはきとした口調で喘息持ちだったが、いつも陽気で冗談を飛ばし、行動派だった彼女には教えられることが多かった。65歳、けっして長くはない人生を駆け抜けた戸田杏子さん、またの名を互井幸枝さん。ご夫婦の生きざまにしばらくは思いを馳せてみようと思う。

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2007年2月12日 (月)

スキーと幽霊

一年ぶりのスキーだった。今年は雪が少なくようやく今日にして10センチほどに積もったので、自宅近くにある北大演習林をクロカンで散策してみた。演習林の入り口に車を置いてすぐに池があり、カモが50羽ほど越冬している。幅が5メートルほどの川沿いに林道が上流に向かってついている。川は所々幅を広げて池を作っている。樹木の高さは20メートルを超えていて、池の水面にその木々が映っている。

川沿いの道をそれて左側の丘に登ってみると平らな林が続いていた。広葉樹の林のなかを15分ほど進み右へ曲がり、元の川沿いの道に戻ろう思った。かなりの雪が降り続いており、方向を見失ったようだ。遭難してもおかしくない林に紛れ込んでしまった。戻るのもいやだったので川の方向へ適当に進んでみた。

するといきなり宇宙観測用のパラボラアンテナが目の前に現れた。驚いた。こんな山の中に直径2、30メートルはあるぞ。 昔見た007の映画を思い出した。秘密基地かも。看板には「北大理学部宇宙線観測所」とか書いてあった。脅かすなよ。ここからは急な下り坂がしばらく続く。スキーはやっぱり下りだぜ。スイスイと坂を下りたところで元の川沿いの道に戻った。まだ雪が降り続いてサングラスの縁にも積もってきた。

苫小牧の川の特徴は林の中を緩やかに流れる。しかも透明度が高い。樽前山という火山の裾野をゆっくりとろ過された地下水が、山ろくを下った斜面の緩やかな所で突然地上に湧き出して、川を作っている。我々の水道水となっている水はこの水だ。だから苫小牧の水は特別にうまい。ミネラルウォーターを買う苫小牧の人の気が知れない。少数だがテレビCMに騙されている人がいる。

誰も居ないと独り言が自然に大きな声になって失敗することがある。「最高に気持ちいいなあ!」と言ってみたら、オッサンが林の中でニヤニヤしながらこっちを見ていた。雪降る山の中に誰も居ないはずなのに、振り返るとそのオッサンはどこにも居なかった。あれは誰だったんだろうか。笑う幽霊か。

携帯電話の電波が届かなくなったのでUターンした。まだ小鳥のさえずりが聞こえるまで少し日数が必要だが、春は近くなってきた。

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2007年2月10日 (土)

天の定めかこの人生

車の修理が終わり一ヶ月ぶりに戻ってきた。悪いところが全部直ってきたと思いきや、CDが聞けない。ぼくの車はCDプレーヤーが盗難に会わないよう隠れたところにあるので、修理工場が見逃したらしい。

そもそも、故障の原因は朝の冷え込みでバッテリーが上がったところに修理に来たオッサンが、12ボルトでエンジンがかからないので24ボルトの電圧をかけてしまい、電気系統が全部イカレタことにある。素人のようなことをやってくれたから修理費用は全部向こう持ち。当然だ。でついでにこれまでイカレテイタところも修理したらしいが、CDプレーヤーまでは目に入らなかったらしい。そんで、今日工場に連絡を取り、「連休明けにお邪魔する」を脅しをかけておいた。一ヶ月もかかって、まだ、ごたごたしている。

正月には足首を捻挫したが、それが縁でとてもすてきな知り合いができた。車も故障が縁でいままでの故障箇所が全部直りそう。

今年も運がいいのか悪いのかよくわからん。これも天の定めか。どうもこの人生わけが判らん。若いときからそうだった。普通の人生も面白くないが、こう上がったり下がったりの運勢もどうしたもんか。まだまだ続きそうだ。

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2007年2月 8日 (木)

英訳

ドキュメンタリーの新作「波の記憶 舟大工、新城康弘の物語」の英訳を誰かにお願いしようかとも思ったのだが、結局自分でやることにした。前作の「ワイア 棒とひょうたんの記憶」は石垣島で知り合ったニュージーランド出身の友人にお願いしたが、彼は今はチリに行ってしまって所在不明。どうしても英語の字幕が必要となり、仕方なく自分で始めた。これが遅々として進まない。特に定冠詞か不定冠詞か、時制の一致とか。日本語をそのまま訳すと、英語としては意味不明になる。インターネットの翻訳、辞書、と首っ引きでやるわけで、時間ばかりが過ぎていく。なんとしても支笏湖の釣りを始める4月ごろには終わらせたい。先住民族アイヌの男たちは冬は狩りの季節と雪原を愛した。僕にとって今年の冬は学びの季節となっている。

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2007年2月 7日 (水)

地球温暖化とアイヌ文化

地球高温化(温暖化では済まされないぞ)でインドネシアでは大洪水が起こり多数の死者で出ているらしいのだが、テレビのニュースで見ていない。アジアの国での事故や災害はどうも日本のメディアはあまり報道しない。アメリカで強盗が逃げるのをヘリコプターで追いかけるのはよく見るが、あんなのニュース価値はほとんど無いに等しい。けれども日本は大金をはたいてアメリカからショウモナイ、ニュースを買っている。アジア軽視、いやアジア蔑視と言ってもいい。厚生労働大臣の女性蔑視のニュースもいいが、いったいどうして、インドネシアでは大洪水が起こったのか、日本の気候へどう影響するのか。暖冬後の春、夏はどうなるのかが気になる。

白老町にあるアイヌ民族博物館に勤務する友人から電話があり、今年は舟を作るのだそうだ。白老町の前は太平洋が広がり、夏になるとマグロが回遊してくるという。カジキもやってくる。しかもシャチやイルカ、クジラも姿を見せるというから驚いた。今年の夏はシャチの撮影にはまりそうだ。

今年亡くなった元参議の萱野茂さんが奮闘してできたアイヌ文化を保護する法律ができて久しい。「旧土人保護法」に変わる法律だが、友人いわく「金目当てのアイヌが増えた」と嘆いている。一度、見直しが必要なのかもしれない。文化を推進するはずの法律がアイヌ民族の誇りを失うことにならないように危惧する友人の言葉は重い。

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2007年2月 2日 (金)

申告の季節

一年間集めに集めまくった領収書を一枚一枚を点検して帳簿に付けていく作業が続いている。ひと月ごとにビニール袋に入った領収書をみていると過ぎ去った一年間を思い出しながらの作業なので、大晦日よりもシビアーに一年を振り返る日々が続いている。稼いでも稼いでも全然金がたまらないのどういうわけか。ある占いの本によると僕はそういう星の下に生まれたらしいが、どうしてそんなことがわかるのだろうか。一日ずれていれば全く違った人生だったのか。大金持ちになっていたか、その日暮らしのホームレスになっていたのか。いろんな思いがよぎる日々である。

厚生労働大臣が女は子どもを産む機械だ、といって総すかんを食っているし、安部ちゃんはその大臣をかばって墓穴を掘っているし、やっぱりこの内閣は短命に終わりそうだ。宮崎の県知事になったそのまんま東はいきなり鳥インフルエンザで振り回されているが、あれはこれまでの日ごろの行いが引き寄せている気がするな。3ヶ月持つかな。

波の記憶の編集作業が大詰めだ。石垣島で上映した作品を総点検するといろいろやり直しするところがでてきて大変だ。やはり編集能力と撮影能力、監督の能力は別なんだな。しかし、この三役をこなすと次回の作品つくりに大いにプラスになることが見えてすこぶる勉強になっている。明日からしばらく寒い日が続くそうだが、じきにまた暖かくなるという。地球は高温化しているというのに、テレビ朝日のモーニングショウのキャスターはこの減少を喜ぶかのように軽口をたたいていたぞ。渡辺何とかという男は軽すぎるな。

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