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2007年2月15日 (木)

戸田杏子さんのこと

エッセイストの戸田杏子さんが亡くなって半年が経ち、息子の竜太さんから葬儀のお礼とともに彼女の文章を載せた小冊子が送られてきた。冊子のタイトルは「ギンカーオマイ」(タイ語でご飯食べていかないかい)という意味で、恐らくお孫さんが題字を書いたのではないだろうか。

ぼくが20歳のころ働いていた信州のロッジを戸田さんが訪れて以来の知り合いだった。児童文学、女性問題などの編集者として、また後年はタイ料理、動物園の本を出版した。北海道の動物園を取材された時は何度か我が家にも寄ってくれ、みんなでわいわいと食事したことを思い出す。そのころはタイ料理研究家の肩書きだった。タイ料理や文化を紹介したミニコミ紙「たまだあ」(タイ語で普通という意味)が届くのをいつも楽しみに待っていた。動物の写真と文章が載った「大きなポケット」という子供向けの雑誌も毎回送っていただいた。子どもたちはその本を見て育った。

2000年に亡くなった夫の薮内正幸さんは動物のイラストレーターだった。その薮内さんが描いたシマフクロウのポスターを最近になって再び壁に張ったばかりだったので、そのタイミングに驚いている。そのフクロウは等身大に描かれていて、足はカラフトマスを鷲づかみにしている。確か全国にも20枚くらいしかないという貴重な代物だ。目に力がこもっていてなんだか怠けそうな僕を見張っているかのようだ。

杏子さんは晩年、薮内正幸美術館(山梨県北杜市)の建設に力を注いだ。一昨年、僕の作品がドイツの映画祭に入選したことを知らせるとたいそう喜んでくれた。一度は行きたい美術館と思いつつ未だ実現していない。

薮内さんの遺骨をポリネシアのどこかの海で散骨したというお手紙を頂いて、僕もそうしてもらいたいと女房に言ったこともあった。その頃杏子さんは乳がんを患っていた。その後、彼女が亡くなるまで8年お会いすることはなかった。

はきはきとした口調で喘息持ちだったが、いつも陽気で冗談を飛ばし、行動派だった彼女には教えられることが多かった。65歳、けっして長くはない人生を駆け抜けた戸田杏子さん、またの名を互井幸枝さん。ご夫婦の生きざまにしばらくは思いを馳せてみようと思う。

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