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2007年5月31日 (木)

釣り、自殺、映画

エゾハルゼミが鳴きだした。支笏湖には湖面に落ちたセミを食べるマスがゴボッと音を立てていた。いよいよ、我が世の春である。セミに似せた毛ばりを放り投げておくと、突然その毛ばりが水中に引きずり込まれる。50センチを超えるニジマスの釣りを覚えてからというものは、毎年この時期が待ちどうしくてたまらない。支笏湖では6月1日はヒメマスが解禁となり、釣りバカどもがボートの上からルアーを引きずる風景が8月いっぱい続く。

政治家の自殺がテレビのニュース、情報番組で大きく報じられ話題になっている。人は自殺すると、せっかくこれまでの人生で修行してきたことが台無しになり、次の人生でまた一からやりなおすことになる、ということを聞いた事がある。現世で積年の問題を解決してこの人生にけりをつけ、天国に生きたいものだ。目の前の苦労から逃げたい気持ちはよく解かるがね。

映画の撮影がまたまた延期となってしまった。このところ週末になると雨が降り、この週末は晴れの予報だが、出演者の都合がつかず再延期となった。どうも運に見放されている感があるな、ドキュメンタリー映画専門と思っていた僕にとっての最初のフィクションとなるこの映画は、苫小牧や近郊の町を舞台としている。東京からふらりと来た若い女性が主人公のロードムービー。秋にはクランクアップしたいのだが。

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2007年5月28日 (月)

大和ハウスと子育て

先日、石垣島の海が懐かしいと書いたので、気をきかせてくれたのか島に住むN君がブログ「八重山の分かれ道」http://plaza.rakuten.co.jp/daiwadaisuke/に米原海岸の海の写真をたくさん載せてくれている。心が和む。あー、今すぐにでも米原の海に飛び込みたい。この美ら海を大和ハウスのリゾート開発の餌食にさせてはならない。ますます、この海の大切さを実感する今日この頃であるな。

苫小牧で起こった事件の初公判が開かれた。21歳の若い母親が幼い二人兄弟をアパートの一室に置き去りにし、ひとりを餓死させ殺人の罪に問われた事件だった。母親は16歳で結婚し、3人の男の子を産んだ。しかし、悲しいかな女の性が彼女を男に走らせた。子どもが邪魔になり、一歳の子どもを餓死させた。長男は死んでいく弟の横で生ごみを食べ生き延びた。悲惨な事件のいきさつが裁判で明かされた。

この事件、若い母親が男に走りわが子を捨てた、という一見単純なようだが、今の社会の構造を如実に語っているようでならない。事件を嘆く知り合いは、なぜ飢え死にした子どもを救えなかったのか残念でならないと話していた。殺伐とした苫小牧ではあるが、この悲惨は事件を契機に子育てを社会で支えようとする論議が活発になってきている。

母親が男を作って逃げた、なんていう話は大昔からあったことで、なにも今に始まったことではないだろう? 小学校時代にはそれらしいくラスメートもいたなあ。 ひと昔はそうなれば爺さん婆さんが親代わりになって子どもを育てた。核家族になってしまった。近所付き合いもない今の社会ではどうしたらいいのだろうか。市役所の児童相談窓口で、彼女は「そんな話はあんただけではない」と追い返されたとういう話も伝わってきている。もしもそうだとしたら、許せることではないが。役所に事件の責任を押し付けては何の解決にもならない。担当した市役所の担当部署と社会が知恵を出し合うことで次の事件を防ぐことは不可能ではないだろう。経済界では産学協同なんていう文字を新聞で時々見かけたりするが、子育てには社会の共同作業は軽視されてはいないだろうか。

団塊の世代はどう思うだろう。身を粉にして働いたのはいいが、子育てを放棄した社会のツケが回ってきてはいないのだろうか。今もこうした事件が進行しているかもな。我が家の近所でも。

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2007年5月17日 (木)

新作ドキュメンタリー英語版完成!

5月1日から日記の記入をサボっていた。日銭を稼ぐ仕事が忙しく、山菜の時期と重なって釣りもほとんどできない日々が続いた。

ドイツの映画祭用に制作していた英語字幕版がようやく完成した。知り合いのドロシーさんに頼んでいた英訳が手元に届いたのが連休明けだった。自分の英語字幕は結構、自信があったが、ネイティブスピーカーの英語は次元が違うね。なるほどとうなづくことばかりで日本人との発想の違いを感じた。特に慣用句の使い方は日常的に英語を使ってないととあんな訳はできないな。とにかく素晴らしい英語訳ができて、ドロシーには改めて御礼を言いたい。

しかし、思うように作業が進まず10日ほどかかってしまった。昨日はドイツから映画祭の主催者のヨアヒムから催促の電話があり、締め切りが過ぎているので早く送れと言ってきた。2年前は千本いかなかった応募が今年は6千を超えていて大変な競争率になっていた。明日の朝一便で送ろう。

一週間ほど前に石垣島の友人からサンゴの大産卵があったというニュースを受け取った。海がピンク色に変わったそうだ。ダイワハウスがリゾート開発を計画中の米原海岸でも確認された。計画予定地の前浜である米原海岸のサンゴ礁を過小評価した報告書を作成したダイワハウス関係者に見せてやりたいね。もう半年もあの海に潜っていない。あー、サンゴと魚たちに逢いたい。

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2007年5月 1日 (火)

コタンコロカムイ

北海道にもようやく春が巡ってきた。支笏湖へ半月ぶりに釣りに出かけたが坊主なので、地面から芽を出したコゴミとユキザサを摘んで帰った。今年初めての山菜であった。山菜を食べると体中にエネルギーが駆け巡る。冬に溜まった毒素を排出する気がして生き返る。

この10日間ほど目が回るほどの忙しさで、日記を書く暇も無かった。アイヌの友人がイタオマチプという板つづり舟を作る為に山に木を切り倒しに行った。同行してビデオに納め、新作ドキュメンタリーの制作が始まった。その帰り際にシマフクロウと出遭った。その昔、北海道がまだ、日本の植民地になる前のアイヌの世界であった頃、シマフクロウは村の守り神、アイヌ語ではコタン・コロ・カムイといい崇められていた。、翼を広げると2メートルもある巨鳥である。50メートルほど離れていたが飛び立つときのバッサン、バッサンという羽音がその大きさを物語っていた。今は絶滅に向かっている鳥である。我々を見守る神をも滅ぼしてきた罪は重い。

奇跡にも近いこコタンコロカムイとの遭遇があってすぐに苫小牧でまたも殺人事件が発生した。容疑者はパチンコ店を解雇された派遣社員の21歳の若者であった。息子より一歳年下の若者が犯した殺人現場を撮影したその夜に、悪夢にうなされた。人を殺す夢を見た。コタンコロカムイのいなくなった苫小牧は殺伐とした春を迎えた。この街はもともと湿地で人の住む環境ではなかったと、アイヌの友人が話していたのを思い出した。

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