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2007年6月18日 (月)

映画「日本国憲法」

日曜日に久しぶりに札幌へ出かけた。上映会場は、明治か大正時代に建てられた洋風建築の元札幌高等裁判所で、現在は札幌市資料館となっていた。映画「日本国憲法」上映を友人のDさんから誘われていたからだ。監督はジャン・ユンカーマン。与那国のカジキマグロ漁師を描いた「老人と海」や9.11後に言語学ノーム・チョムスキーにインタビューした「チョムスキー9.11」を撮った人である。

映画のタイトルは日本国憲法だが、中身は憲法9条についてであった。憲法草案の作業にかかわった日系人女性、政治学者の日高六郎、ノームチョムスキー、沖縄の辺野古で米軍基地移転に反対する住民、東京の街頭での市民などインタビューを中心に構成され、憲法9条を守ろうとする立場から制作した作品だった。

社会学者の日高さんの話だっただろうか。アメリカの押し付け憲法といわれているが、明治憲法を少し変えただけの天皇制を維持した草案と現在の国民主権を中心にした草案の両方が提出されていたということだった。

改憲を主張する右派というより極右の人間たちが前面に押し出しているのが、押し付け憲法ではない日本人の作った憲法が必要だ、という一点である。

護憲派の私としてはこの論調を吹き飛ばすだけの理論武装が必要であると考えているが、この映画はこの点について実に見事に答えてくれた。確かにこの憲法はアメリカが生みの親であることには間違いない、しかし愚かな戦争を経験し二度と過ちを犯すまいと決心し、平和憲法を受け入れたのは我々日本国民であるということだ。いわば私たちは憲法の育ての親である。そして、憲法とは、国家権力が暴走し戦争を起させないための法律であり、権力者には改憲して戦争を起そうとする権利は無い、といったのは沖縄在住のアメリカ人政治学者ダグラス・スミス氏であったと記憶している。

安倍首相はすでにこの点において憲法違反を犯している。

人類がこれまでに持ったことのない最高の憲法を手にし、育て上げた私たちは日本国憲法にもっと誇りを持つべきだと思う。

改憲を肯定する若者たちにも分かって欲しい。武器で人を殺すことの恐ろしさを知って欲しい。武装することが戦争を呼ぶことを知って欲しい。知り合いの大学生は国を守る為には自らすすんで武器を取ると言った。この純粋な心をもった青年を利用しようとする改憲論者の安倍首相らの企みを私たちは許してはならない。

憲法に無関心な若者たちよ。今の憲法改正は間違いなく君たちを徴兵し戦場に送り、人殺しの道具として使おうとするとんでもない行為だぞ。戦場では肉片が飛び散り、首の無い死体が転がり、手足がもぎ取られた黒焦げになった死体が横たわるのだぞ。それでも君たちは「国土を守れ」とコーヒー片手にソファーでタバコを吸いながら叫ぶ政治家の為に死を覚悟できるのか。

武器を取る勇気より、武器を持たない勇気のほうがずっとずっとかっこいいと思う。我が息子たちにもこのDVDを贈ろう。2800円で平和を作れるのなら。

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2007年6月11日 (月)

大和ハウスが企てる農地転用

米原リゾート計画と市有地売却(石垣市大浜のパイン工場跡地の一部)をめぐり、石垣市内の自営業、佐伯信雄氏が4月9日、農振除外の不当性や市民財産の損失があったとして行った監査請求に対し、石垣市監査委員(山田隆一氏、平良秀之氏)は7日、いずれも却下する決定をした。
 一方で、市有地売却について「不正なものとは認められない」としつつ、「その過程において不明瞭な点が見受けられたことは誠に遺憾」と表明、市長に対し「公平かつ公正さが失われることがないよう」規則や基準を設けるなど実効ある対応を求めた。

回答では、リゾート計画地の農地転用について「農地法違反ではなかった」として佐伯氏の主張を退けた上で、請求自体が「違法・不法な財務会計上の行為」を対象とする住民監査請求の要件に該当しないと判断した。
 2006年2月2日に売買契約が成立した市有地売却について佐伯氏は「財産過小評価による市民財産の損失責任」を主張したが、監査委員はその行為のあった日から1年を経過した時点では請求することができないとする最高裁判例を根拠に却下した。

最新のネット版八重山毎日新聞の記事は、大和ハウスが計画中のリゾートホテルの建設用地に関する農地の転用について上記のように伝えている。

リゾートホテルの建設用地は山地の多い石垣島の貴重な農地である。その農地を簡単にリゾートホテルを建てられるように転売する仕組みを企てたダイワハウスの悪どい商売方法を、石垣市の監査役は見て見ぬふりを決め込んだらしい。監査委員なんて者は居ても居なくてもどうでいい存在なのを、自ら認めた決定であるな。監査委員はいくらの報酬をもらっているのか知りたいところでもある。

この決定は想定済みなので開いた口が塞がらない程度の怒りしかないが、この決定で米原海岸の大和ハウスが建設されるだろうか?というと全くそういう事ではない。長野県、飯綱高原のダイワハウスリゾート開発が失敗に終わった20年前。ぼくらは同じように大和ハウスと闘った。その時も住民監査請求は門前払いだった。

佐伯さんの住民監査請求も却下された、しかし、予想以上に波紋は広がるだろう。今後を注目したい。

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2007年6月10日 (日)

モズクと親子喧嘩と映画の撮影

我が息子との親子喧嘩は中途半端ではない。いや、なかったと今は過去形となった。

というのは、今日、石垣島の友人からモズクが届いた。塩づけにしたモズクできっと石垣の海で採ってくれた歯ごたえのあるとびっきりうまいやつだった。石垣の海の香りがそのままパックされてきた。親子3人で懐かしさに歓声を上げて頂いた。この場を借りてお礼を申し上げます。マナちゃんハルちゃんどうもありがとう!モズクと一緒に特製のお茶も届けてくれた。このお茶は頭頂のチャクラを開くというツボ草とミント、レモングラスの100%ナチュラルのハーブティー。この夏はアイスで頂こう。石垣に行く人は”もだま工房”のツボ草茶をお土産にすると大変喜ばれる。知る人ぞ知る古代インド秘伝のお茶であるぞ。

で、モズクを食べながら息子が、「父ちゃんとモズクで喧嘩になったなあ」と言い出した。息子いわく「父ちゃんがおれがモズクをかき回し過ぎだといって喧嘩になったの覚えてるか」と言い出した。俺は「そんなこと忘れたけど、お前の後ろからのボディーブローは忘れんぞ」という言うと「俺も父ちゃんに殴られたのを忘れんぞ」と息子は言い返した。俺は肋骨にひびが入って入院。「今だから笑い話だけど、どっちか刑務所に入ってもおかしくなかったよな」と言う。息子「ほんと、ほんと」とうなずいた。そんなくだらない喧嘩は日常茶飯事だったころが懐かしい。「あんたたちは激しいなぁ」と横で女房はつぶやいた。

モズクが思い出させてくれた親子喧嘩のワンシーンであった。

ドキュメンタリーしか撮ったことのない俺だったが、「サオリ」というタイトルの若い女性を主人公にしたフィクションを撮っている。今日の撮影でひとやま越えた。主人公のサオリが苫小牧とその近郊を旅するロードムービーである。撮影予定が一ヶ月延びてようやく今日、春のシーンを撮ることができた。ライブハウス「アミダ様」の名物オーナー”ツルさん”の友情出演で最高に近い撮影ができた。ツルさんは俳優ではないがブルースバンドのギターとボーカルをやる。その表現力は自由で味があり、間のとりかたが抜群であった。怪優が誕生した、といってもオーバーではない。一年間待った甲斐があった。昨年は全くうまくいかなかった撮影が今年に入り、紆余曲折はありながら進みだした。二歩後退したが、三歩進んだこの映画のクランクアップは10月を予定している。 

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2007年6月 5日 (火)

ドキュメンタリー映画「波の記憶」

新作ドキュメンタリー映画「波の記憶---舟大工、新城康弘の物語」がドイツの国際映画祭で上映されることになった。今年8月11日からポツダムで開催するグロービアンズ・ワールドアンドカルチャー・ドキュメンタリー・フィルムフェスティバルでの上映作品として選ばれたと、昨日通知があった。一昨年の「ワイア---棒とひょうたんの記憶」に続く2回目のドイツでの上映となる。今回のエントリーナンバーが6183だった。上映されるのはそのうちの50作品。

この作品は沖縄県石垣島在住の79歳になる舟大工の物語で、3年の撮影を経て今年完成した。3月に石垣島の試写会ですでにご覧になった方もいるが、漁師だった新城康弘さんが36歳で木造船の舟を造り始める。しかしプラスチック船に押され1970年代に沖縄の海から消えようとしたスウニという舟を再び造り始めた話である。

新城さんは生まれ故郷の池間島(宮古島の北)で祖父や父親が乗っていた舟スウニ(沖縄では一般的にサバニと呼ぶ)作っているが、彼を除いて現在この舟を作れる人は居ない。

太平洋戦争で父親は戦争に駆りだされ、本人も少年兵として軍事徴発され飛行場の整備に従事する。舟造りを父親から教わることはなかった。戦後になり、結婚後、池間島から石垣島に移住する。少年時代からの夢だった世界旅行を夢見て遠洋漁業に従事し、インド洋、南太平洋を駆け巡る。しかし、幼子を抱えたまま、妻を病気で亡くし船を降り、漁師をやりながら父親が作っていたスウニを見よう見まねで造り始める。

その後、順調にいったかに見えた彼の人生だが---。

そんなインタビューで話す半生と舟造りに残りの人生をかける現在の舟大工・新城康弘さんを描いた。悲しみと喜びの試行錯誤の彼の人生に、我が人生を重ねる。

36歳で舟を造りだした新城さんの人生と同じ年で映像の仕事を始めた自分の人生を重ね合わせる。

彼の年に追いつくまで30年。中年のご同輩諸君。これからだぞ人生は。

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