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2007年11月23日 (金)

「独学のすすめ」 谷川健一著について

副題は「時代を超えた巨人たち」 晶文社からでているこの本は南方熊楠、柳田国男、折口信夫、吉田東伍の民俗学者、沖縄の宮古、八重山の人頭税(にんとうぜい)廃止に携わった中村十作、笹森儀助の6人を取り上げた本だ。

平易な口語体で書かれた本で中学生にも読めるので是非おすすめの書物である。著者の谷川健一さんは、以前懇意にしていただいた詩人の谷川雁さんのお兄さんである。雁さんはすでに鬼門に入られているが谷川健一さんの著書は気になりながらもまだ読んだことはなかった。

知の巨人、南方は民俗学者というより博物学者としたほうが良いのかも知れない。「独学のすすめ」では柳田国男が只一人自分を超える人物として交流したエピソードなどが語られている。粘菌学者でもあり、菌の見本をキャラメル箱に入れて昭和天皇に献上した話は有名である。

それぞれ、独学で身を立て出世には全く興味を示さず自分の世界を世に知らしめたことが共通している。柳田は東京大学を卒業しているが法学部出身だ。

南方を除く5人は沖縄に魅せられそれぞれの仕事や人生に大きな影響を受けた。著者、谷川健一さんもそうである。

この本のなかで谷川さんの沖縄に対する視点を一文でいい得たこの言葉を紹介したい。

「沖縄と日本は兄弟である。母を同じくする兄弟であるが、しかし父が違う。母とは何か。言語民俗である。父とは何か。歴史である」

柳田は「海上の道」で沖縄は日本国のオリジン(起源)で日本は末であると書いている。

太平洋戦争後のアメリカ統治下にあった沖縄を柳田はこんなふうに書いている。

屋号「ヤポネシアビデオ」のヤポネシアの意味を代弁してくれているようで嬉しい。

ぼくはビデオの撮影や編集技術は独学である。谷川さんは独学についてこうも書いている。

「南方熊楠、柳田国男、折口信夫--三人とも人の真似をすることは大嫌いである。生理的にまで苦痛なのです。これは独創性のまぎれもない印であると私は考えますが、しかしながら独学者は、ややもすると偏狭な固定観念を作り上げてしまいます。独創邁進の精神は結構ですけれども、得てして独断に陥りやすいという弊害があります。---」

そしてこの弊害を克服する方法は「自然の大地に生きる生活民の知恵をこの三人とも重視しました」と書いている。

これからの仕事においておおいに参考となった。ぼくは生活民で、映像制作者である。石垣島の舟大工を描いた「波の記憶」の主人公は現在79歳。2000年になり70歳をこえてから22年ぶりに木造船作りを再開することになる。その間は漁師として生きてきた。50を超えたばかりぼくにとって、舟大工の人生はお手本そのものであった。苦労したであろう人生を彼の表情に見つけることは難しくない。カメラのまえで語った彼の人生はほんの一部であったのであろう。

「父の苦労を思い、涙なしでは見られなかった」というお便りをいただいた。本州に住む娘さんにとっては家族の見知らぬ生きいきと舟を作る父親がいたという。

石垣島をあとにして7ヶ月が過ぎた。ぼくにとって急激に都市化する石垣島はますます気になってしょうがない存在となっている。石垣市に本社がある八重山毎日新聞に、高校生が島の名所とともに大和ハウスがすすめるリゾート開発予定地を見学するツアーを企画した、という記事を昨日見つけた。自分たちの島の未来を自分たちの視線で見つめようとする若者たちの心にちょっと感動した。

谷川健一さんの「南島文学発生論」と柳田国男の「海上の道」をこの冬は読もうと思う。

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2007年11月20日 (火)

ドキュメンタリー映画「新・波の記憶」

今年の夏ドイツで上映した「波の記憶」(67分)を52分の作品(日本語版)に再編集する作業が終わった。これから英語字幕版の作業が待っているがひとやま越えた。

撮影の仕事は足し算、編集は引き算。自ら撮影した貴重な映像をばっさばっさと切り取ることがなかなかできない。何度もチェックし迷路に迷い込んでいくような日が続いた。

特に音には泣かされる。撮影の基本が非演出である。ドキュメンタリーなので当然のように思われるが、テレビ番組などで見ているとその多くが演出されている。素人にはわからないように演出するのがプロ。演出すると流れがとまり映像のリズム感が失われしらけた物になってしまう。

写真家の木村伊兵衛、土門拳 カルティエ・ブレッソンなど影響を受けた写真家の映像は停止しているが動きがあり生命感があふれる。隙がなく見る者に感動を与える。それはあるがままの、演出を排除した瞬間であるからだ。

ビデオカメラの場合は音がプラスされる。会話、音楽、雑音、それらをどう生かすのかまた消すのか。編集の能力がないので試行錯誤する。直観力や忍耐が要求される。ほとんどがカメラマイクで拾った音の場合は厄介である。映像は撮れたが、音が取れていない! こんなことは日常茶飯事。しかし緊張感のある場面は捨てられない。さあどうする。

撮影には細心の注意が要求されるが大胆なカメラワークもなくてはならない要素になってくる。

今ある素材を生かせ!

ドキュメンタリー制作は体力、気力、コミュニケーション力、洞察力、時として予知能力までも引っ張り出す。次の瞬間を読むのだ。これから起こりうることを。

30才や40才では理解できなかった。ようやく立ったスタートライン。

だからドキュメンタリーは面白い。これからはお涙頂戴のドラマもいいが、ドキュメンタリーだぞドキュメンタリー。

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2007年11月12日 (月)

小説 リゾート開発スキャンダル

2007年11月16日 仏滅 天気曇り 気温28度

私は日本最南端に位置する沖縄県与嘉敷市の市長、小浜長影。今年で76歳になる。3期無投票のあと久しぶりに昨年の選挙では相手をわずかな差で破り当選。身長158センチ、体系はメタボリックシンドロームを象徴するのような体型、口の悪い市民は私のことを「アバサー」と呼ぶらしい。

ポリネシアの大きな木彫りや中国の壷が並ぶ市長室で一人新聞を読む目はうつろで「アバサーはヤマト言葉ではハリセンボンだったかな」 「いやいや、今はそんなことどうでもいい」とうなづいたり、首を横に振りながらぶつぶつ独り言を言っている。

「そんなことよりデスクの上の書類に判子押さねば」と午前中は額に汗をかきながら体系に似合わずてきぱきと仕事をこなした。

市長室 午後2時 パソコンの画面には今朝飛び込んできたデーワハウスに関する新聞社発行の記事が映し出されている。「デーワハウスの子会社デーワリゾートが20億円の不正経理で数日内に東京地検が強制捜査」

曇りなのに湿度が高く頭がボーとしていた。ニュースが気にはなっていたが私は昼飯に食った大盛ゴーヤチャンプル定食と大盛ソーキそばで眠気を催し、パソコンのキーボードに手を置いたまま仕事に励んでる振りをしていた。東京の事件のことよりも眠気の方が勝っていた。

「アバサーまた居眠りしてるー」 秘書課の女性たちは市長の首ががくっと後ろにひっくり返る度にくすくすと笑っている。

「ピョロピョロ、ピョロピョロ」そんないつもの昼が突然鳴り出した電話の呼び出し音で中断することになった。相手は聞き慣れた声だった。

「琉球毎日放送の大城ですが」 

「なんね、きょうは」 

「市長、デーワハウスの事ですがね」

「知ってるよ。強制捜査でしょう」

大城はベテランの放送記者で自分でもカメラを回す仕事を30年続けている。私のよき相談相手でもあり、時々は強烈な批判もする。お互い気心は知れている。

「デーワハウスのリゾート計画に反対するグループが市長に面談するといってもうじきそちらに行きます。私らマスコミも一緒ですからね」

「わー、めんどくさー。 また島ナイチャーの連中が来るわけ? 彼らは屁理屈こねるんよね。助役に対応させるから」

「アバサーね。いや小浜市長ね。今日は違いますよー。JCの我喜屋や市議の花城も一緒ですから」

「アギジャビヨー!デージ! でも今すぐはだめだよ。一時間後いや二時間後で調整してくれるね。頼んだよ」

私は外出中の総務部長の西里を呼び戻し対応策を練ることにした。

「西里さんね。彼らは何をしに来るのか調べてくださいね」

「ハイ、もうすでに情報は掴んでおります」

市役所内ではカミソリの西里と呼ばれ、頭の切れは市役所歴代一。身長183センチ、43歳の若手ながら役所の仕事は彼なしでは進まないといわれている。私は全幅の信頼を寄せている。秘書課の女性たちには大もてで、ちょっと嫉妬している。

「彼らは今回のデーワハウスの不祥事で公開質問状を持って来るとゆうております」

「質問ってどんなこと聞くの」

「恐らくリゾート開発を推進する市長に今回のデーワハウスの事件を受けて、今後の市の対応を迫ることになるのでは」

「そうね。まあそんなところだろうね」

「しかし、あのことは聞かれないだろうね」

「あのことといいますと?」

「前回の選挙の前に会ったでしょうが。デーワハウスの清川さんと。”ホテル島一番”でコンパニオンなんかとやったこと」

「アレは絶対に漏れていませんから大丈夫です」

「何しろ選挙には金というものが必要以上にかかるからね。企業が献金するといってきたのを断ることもできなかったからね」

「大丈夫、市長。少しでも弱気を見せると彼らは突っ込んできますから」

急に二人は小声になり、ドア向こうの秘書たちの顔を覗き込むようにして首を伸ばした。二人のその姿はまるで鶴と亀のようであった。

「とにかく、資料集めておいてちょうだいね~」とあとは西里君に任せた。

彼は今は私の腹心である。でも次の選挙に出馬されると負けるな、とふとそんな心配が頭をよぎった。 

窓から見える井渡名島はやや霞んでいる。私はコーヒーを飲んだこともありすっかり目が覚め、キューバ産の葉巻をくわえ13年間の市長経験を思い出しながら、こう言ってきたら、アー言うことにしよう、などと脳みそをフル回転させた。

相手はどこの馬の骨かわからないフリーター生活の島ナイチャーたちではあるが、恐ろしく知識を持った連中であるしどうもその中の一人は国立大法学部出身という噂もあるのだ。気を引き締めようと思いながら葉巻を灰皿にのせた。

午後4時ちょうど秘書から反対派グループ総勢20人が来たことを告げた電話が入った。

「20人は多すぎるな。報道を入れると30人近くになるだろう。半分だけ応接室に入れるように西里君にいってくれる」と受話器を置き、短い腕を2,3回まわし気合を入れた。

市長室隣の応接室には資料を持った助役、総務部長が反対派とすでに対峙していた。

応接室のドアを開けるとテレビカメラマン4人、新聞記者4人をあわせた18人が待ち構えていた。

「ハイ、どうも皆さんご苦労様です」といつもの余裕で軽く会釈し中央の席に座った。

反対派と顔を合わせるのはこれで3回目である。一度目はデーワハウスが20階建てのリゾートホテル計画を発表した時だった。反対派数人が私と面談したいというので会ったのが一年前だった。その時は計画は島の景観や環境を破壊するとして市は計画に同意しないように要請してきた。その時に会った長谷川という男には参った。何しろ頭の回転が速く、情報量も豊富で役場に欲しいほどの男だったからだ。見たところまだ20代後半。筋肉質で肉体労働で鍛え上げた中肉中背の背筋を延ばした姿勢が印象に残っていた。

「やあ、長谷川君。今日はどうしました?いやに急なので驚いていているんだが」

「すいません。市長は前日に連絡するといつも明日は出張でいないとかで逃げられると思ったものですから」

「そんなことは」と私は首を横に振った。

「それに我喜屋さんと花城さんも来るというので商工会と約束があったのをキャンセルしたんだから」

「それはどうもありがとうございます」と数人が声を出しお礼を言った。面談は緊張感が漂いながらも穏やかに始まった。

すでにテレビカメラは赤いランプが点灯し撮影が始まっているのがわかった。

すっくと立った長谷川はすぐに話を切り出した。

「市長もすでにご存知かとは思いますが、デーワハウスが不正経理を行っていたとの報道がありました。私たちはこのリゾート開発に反対しており市長が推進されているこの計画を見直していただきたく質問状を持ってきました」

「うん、いいですよ。もらっておこうね」と私も立ち上がり手を出そうとするといきなり彼は質問状を読み始めた。

カメラのフラッシュがシャッター音と共に光った。テレビカメラが私から長谷川君にパンした。何人かの記者とカメラマンは我々の姿を撮影しようと場所を正面へと移動した。

長谷川はいつもより大きな声で質問状を読み始めた。

「公開質問状! 与嘉敷市長、小浜長影殿」

「長谷川君、そんなに大きな声を出さんでも。充分聞こえる距離でしょう」と私は眉間に皺をよせた。

長谷川は少し躊躇し声が止まった。

琉球毎日放送の大城がファインダーから目を離して「長谷川さんそのまま続けて」と促した。

また大城が余計なことを、と思いながら仕方なく私はそのまま質問状の内容を聞いていた。

質問状の内容はおおよそ予想したとおりだった。デーワハウスの不祥事をどう捉えているか。与嘉敷市としての今後対応は。市の景観条例に違反するのではないか。内心ほっとし質問状を受けとろうとして手を伸ばしかけた時だった。

長谷川は続けてこう質問した。

「前回の市長選挙の投票日の10日前、市長はデーワハウスの清川氏とホテル島一番で会いましたね」

「うーん、どうだったかな。ちょっと記憶にないにな」

心音が全身に響いた。額からは脂汗が流れ出してきた。私は平静を装った。

「ここに一枚の写真があります」と長谷川は続けた。

超ミニスカートのコンパニオンがテーブルの上にあがって踊っており、その下で私とデーワハウスの清川がねじり鉢巻で顔を上げ、両手に握った一万円札を突き上げてなにやら叫んでいる姿があり、ピンぼけながら確かに私らの興奮状態の写真が、彼の手にはあった。

私は、助役の向こう隣に座っている総務部長の顔を見た。部長はまっすぐ前を向いたまま平然としている。

「これは私ではないぞ。弟だ」とっさに出た声はひっくり返った裏声になっていた。

カメラのフラッシュが一斉にたかれた。記者たちは差し出された写真に目が釘付けになっていた。

「どうなんですか。これはあなたでしょう?」長谷川の声は落ち着いた声になっていた。

「市長、こうなったら本当のことを言ってください」 西里総務部長が冷ややかな声で私を諭すように言った。

「そ、そうだ私だ」体から力が抜けていくのがわかった。何秒か過ぎ、はっとして西里部長の顔を再び見た。

その顔から写真の提供者が彼であることに私は気がついた。

翌日、私は市内の病院にいた。マスコミの取材から逃れる為には入院するのが一番の方法だった。

病室のテレビからは昨日の応接室での様子がニュースで繰り返し流されていた。西里部長が今回のデーワハウスのリゾートホテル建設計画は白紙に戻ったと会見で語っていた。

その顔は次期市長としての自信に満ち溢れた表情であった。

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2007年11月 9日 (金)

大和リゾート15億円の利益水増し

石垣島で大型リゾートホテルの建設を計画中の大和ハウス工業の子会社大和リゾートが、巨額の利益を水増ししていたことが発覚した、と朝日新聞が本日11月9日付け電子版http://www.asahi.com/national/update/1109/OSK200711080122.htmlで伝えた。

これまでのリゾート計画の経緯はhttp://www.save-yonehara.org/に詳しく掲載している。

おそらくは内部告発であろう。告発したあなたは石垣島の環境を守ったのだ。 ありがとう! よくぞ告発に踏み切ってくれた。このブログでも何度か告発して欲しいと書いたがその甲斐があった。

赤字を埋め合わす為に6年間で15億円の不正経理を行っていたとは。

大和ハウスによって石垣島が危うく食い物にされるところだった。石垣市の大浜市長はこのリゾート計画を推進すると公言していたのだが、これで石垣島の大和リゾートの計画は無くなった。現在あるリゾートホテルの存続さえも危ういのに何が新規開発よ。バカタレドモガ。

6年前から赤字の埋め合わせを行っていたのだが、考えてみれば、計画を公表した3年前の時点でもともとこの計画は幻の開発であったのだ。大和ハウスの開発計画で一部の地元住民、企業は踊らされた。これで、目が覚めたはずだ。創業者の始めた事業だからとの理由でウソを並べ、できもしない計画をぶち上げた大和ハウス工業の社会的責任は大きい。一度信用を失った企業が奈落の底に落ちていったのを目の前で見てきた。苫小牧のミートホープ社の社長は詐欺容疑で昨日再逮捕されている。同族企業が陥る最悪のパターンをミートホープ同様、大和リゾートは見せてくれた。

石垣島では7階建てのマンション建設を阻止する為にすでに住民が提訴している。市内のマンションアパートはすでに供給過多の状態だそうだ。冷静な判断力をもつ良識ある市民は島の宝である景観、自然を保護する為本土企業に立ち向かっている。

負けるな島人。今が踏ん張りどころだぞ。

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2007年11月 7日 (水)

小沢党首復活

野党の党首というのは与党が選挙で敗北したときに総理大臣になる、というのは当たり前のことである。

民主党はこれまで二大政党政治を目指して、国民にそうなるように訴えてきた。その民主党の党首が右翼思想のナベツネだか、ナカソネだかにそそのかされて自民党と手を組もうとした。

アメリカで言えばヒラリーが、ブッシュと手を組もうとしたのと同じだろう?違うかい。それもネオコンの大物に話を持ちかけられてだぜ。こんなスキャンダラスな事件はきいたことがないぜ。こうなったら、ヒラリーは政界から引退するしかないだろう?

反自民としては少しは期待した民主党だが、小沢民主はもうごめんだな。

小沢は革命家として力を発揮するだろうが、政治家としては向いてないような気がする。

たとえば毛沢東と周恩来。小沢は毛沢東であるな。今回のようなおもいつきで雑な判断をする彼に総理大臣を務めるセンスはない。もしも民主党が政権をとったら彼の役目は終わり。

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2007年11月 4日 (日)

大連立?

いきなり民主党が自民党と連立!? 

そんなバカ話が国民の知らない間で進められたとは驚いた。福田首相が言い出したのか、小沢党首が独断で決めようとしたのか、いずれにせよ二人で2日間の話し合いで決めようとしたこと自体むちゃくちゃな話でしょうが。

安倍前首相が辞めたときもピンポンダッシュして逃げた子どもみたいだと批判したが、小沢も同じ穴のムジナかい。民主的手続きをも無視し自分の行動が党内で認められなかったら辞任するなんてことはあまりに無責任だぜ。民主党は小沢辞任を引き止めるといっていいるがやめたほうがいい。すでに小沢は冷静な判断力が欠けていた事バレたんだからねえ。彼の政治手法にはもともと疑問をもっていたから辞任してもらってよかったよ。

こんなのをを茶番劇というんだな。いったい日本に民主政治は存在するのか?

問題は自衛隊の海外派遣にあるようだ。

こうなったら、年内解散総選挙!争点は憲法9条。 我々は戦争という紛争解決への手段を放棄するのか。それとも、政策を転換し再び戦争への一歩を歩むのか。国民が冷静に判断しようじゃないか。

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2007年11月 1日 (木)

月刊やいま、金城朝夫追悼特集

石垣島に住んだ2003年から2004年にかけてお世話になったジャーナリスト金城朝夫、本名友寄英正(ともよせえいしょう)さんが今年の5月1日に亡くなってから半年がたった。彼を追悼する特集記事を載せた月刊誌「やいま」が昨日、我が家に届いた。

この「やいま」とは石垣島のある沖縄県八重山(やえやま)地方の呼び名からとったたいへん人気のある雑誌で、今年から毎月出版元の南山舎から送ってもらっている。八重山地方の政治経済、文化芸能、イベント情報が満載で知り合いなんかが写真入りで登場する。次男坊は八重山商工高校で甲子園の応援団仲間と一緒に表紙に載ったりしたこともあった。

友寄さんが亡くなったことを知ったのもこの「やいま」だった。最後にお会いしたのは今年の3月に病院にお見舞いに行った時だった。その時は病状もかなりすすんでいた。石垣島の舟大工を描いた僕のドキュメンタリー「波の記憶」のビデオテープを持っていき、手を握ると強く握り返してくれた。病院のデイルームで友寄さんも見てくれたことを看病をしていた娘さんから後でうかがった。前作の「ワイア」(ブラジル先住民族を取材したドキュメンタリー)の上映会にも来ていただき、お褒めの言葉を頂いたことを思い出す。たった一年足らずの短いお付き合いしか出来なかったが、友寄さんがあまり好きでなかっただろうナイチャー(本土人)である僕のことを気に懸けていただき、ケーブルテレビ局勤務時代には右も左も分からなかった僕は取材現場によく案内してもらった。その都度、戦後の島の歴史、御自分の仕事のことを車中で語ってくれたことを思い出す。

「やいま」を読み、あらためて友寄さんが残した仕事の大きさ、戦後の沖縄、石垣島に与えた影響の重さを知った。沖縄の日本復帰後に押し寄せた本土企業の土地の買占め、その土地を買い戻す運動の先頭に立ち石垣島や竹富島を日本企業の乱開発から守ったことは彼が残した大きな足跡となった。2004年までの30年間はテレビ局の駐在記者カメラマンとしてぼくと同じ仕事に携わってこられた。カメラよりペンが本業だとご自身は語られていたようだ。大先輩にとってすれ違いほどの僕との交流でしかなかったが、開発ラッシュで石垣島が危機的状況を友寄さんはさぞかし嘆き、怒り、もどかしい思いで天国から見ているであろう。

石垣島西海岸米原ビーチにCMで有名な本土企業「大和ハウス」が計画中の米原リゾートホテル建設がある。これに端を発する石垣島の環境保護運動にかかわるぼくとしては友寄さんならばいかに行動したであろうか、と常に心のどこかに彼の存在を感じている。この運動は当初、移住者であるナイチャーたちが火をつけた。大和ハウスが過去に行ってきたゴルフ場、リゾート開発がどれだけ環境を破壊してきたか。開発を進めるために反対派、賛成派に地元住民を分裂させた。ぼくは長野県に住んだとき身をもって体験した。たまたま住んだ石垣島でまたあの大和ハウスが出てきたかと思うと居ても立ってもいられなかった。

民族自決はアフリカ諸国がヨーロッパから次々と独立した1960年代に使われた言葉である。現大浜市長の発言にあるように、島の未来は島の人間が決めるという思いがあることは充分承知していた。しかし、その原則を企業が利用しているように見えたからこそあえて僕はこの運動に参加した。本土の企業は地元住民を経済発展の為と騙し、行政や地方政治家も利用し贈収賄は当たり、そして地方の文化、環境を破壊して利益優先の犯罪的行為を繰り返してきた。大和ハウスやその他の企業はその行為を反省し改める時が来ている。いまや環境問題は人類の未来を左右する重要な課題として認識されるようになった。最初は単なるホテル建設反対運動だったがその後、島の人々を動かし島の景観、環境を守る市民全体の運動として発展してきた。この運動は良心をもつ本土からの移住者と島人との共存を考える上で貴重な財産になるのではないかと期待している。石垣島の環境保護運動は確実に実を結ぼうとしている。

やいま11月号で語られている人々の意識は友寄さんの思想を受け継いで石垣島の明るい未来へつながると確信している。八重山の魅力に取りつかれたひとりとして少しばかりのおせっかいを許してください。

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