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2008年2月28日 (木)

カナダ先住民居留地撮影旅行その二

昨日、白老のアイヌ民族博物館に行ってきた。編集中の映像記録「アイヌの漁撈-造船編 舟を綴る」の打ち合わせ。博物館に勤める友人にカナダの土産話も持っていった。

友人は幾度かカナダを訪れ事情に詳しい。カナダは州の自治権が確立していて、各州によって先住民政策というか州政府の先住民に対する付き合い方にずいぶん差があるという話になった。フランス語圏のケベック州はカナダ連邦からの独立を主張する住民が多数を占めている。先住民の協力なしでは独立は難しいから、先住民に対する様々な優遇政策が採られているという。また、ヌナブート準州のようにほぼ独立に近い自治権を持った先住民もいる。ブリティッシュ・コロンビア州はというと先住民政策はひどい状況だ。どれくらいひどいかと言うと。森林伐採に反対して道路封鎖をする先住民には殴るける、時には発砲する。とっ捕まえては逮捕拘留。裁判所送り。アルビンも刑務所に入ったことがある。州政府と先住民との間に一触即発の内戦に近い状況がここ数年続いている。もちろん、州内の全部の先住民がそうではないが。

カナダ。到着した14日は夕食をバンクーバー在住の日本人の元大学教授のご自宅でごちそうになった。カナダの先住民が直面するそんな状況についてインタビュー。

15日、マウントクーリーの村は湿った雪が朝から降っていた。ここ数日の暖気で雪解けが進み積雪は50センチくらい。緯度はカラフトの中ほどだが、気温から察すると日本の東北中部あたりの気候か。午前中友人アルビンの両親に挨拶にいき、五本指の靴下を土産に持っていく。母親は不在で父親が迎えてくれた。70歳くらいの父親は調子があまりよくないようで、インタビューも10分くらいで切り上げた。あとで聞くと記憶を失いつつあるようだという。そうそうに引き上げていく途中に木の上に雪のふるなか白頭鷲が止まっていた。

Lilwat2008_003昼近くになり、雪が止み陽が差してきた。雲の切れ間から山々が姿を現した。標高3000メートル級の山やまが連なるこの地域はその昔氷河に覆われていた。氷河が解け、渓谷を造った。丘に登り谷間に広がる風景を撮影した。4回目の訪問となるのだが、いつ見ても美しいが冬は初めてだ。

午後、悪い知らせが入った。今日いく予定だった山小屋の主のヒュービーの兄が死んだ。まだ40歳を過ぎた若さだった。昨日の夜も一人死んでいる。先住民の暮らしは白人の水準とくらべるとかなり低い。白人社会は西欧、先住民は中南米。しかも物価は西欧並みであるから格差はさらに広がる。医療費も払えず治療する金もなく死んでいく。若者の自殺、アル中も多く我々が持つカナダのイメージとは程遠い。50歳のアルビンは「俺は21歳で酒を飲み始めた。14歳から飲み始めた連中はみんな死んだ」と言った。いったい俺はどこの国に迷いこんできたのか。2010年冬季オリンピックの会場から車でわずか30分の距離である。

午前中、ある女性のインタビューに出かけた。彼女は日本にも来たことがあり、人権、環境活動家。現状について語ってもらった。核心的な話が聴けた。村人の大切な山がスキーリゾートの開発予定地になり、住民の8割が反対しているという。それでも、開発側は諦めないでいると言う。その場所はシュティカ、冬の魂という意味。そこでは村人が集まり、精神修養をしたり、狩猟、山菜などを採集する先住民にとって大変重要な場所であるという。インタビューが終わると小さな木の皮で作った籠をプレゼントされた。アルビンにあとで聞いた話では彼女の体調がかなり悪いという。

村の公会堂で食事が食べられるというのでアルビンと出かけた。葬式があると近隣の村などから寄付が集まってくる。葬儀の参加者はここで食事をする。ローストしたムースの肉、ジャガイモ、パスタ、サラダ、スープを各自が取っていくビュッフェ形式。見ず知らずの日本人だが、誰も訝る様子はない。片身の狭い思いで食事を済ませた。

                          葬儀に出かけた。Lilwat2008_045

墓地に100人ほどの村人が集まっていた。ヒュービーも来ていた。彼とは4年ぶりだ。お悔やみを言う。「ありがとう」と彼はハグをしてきた。なんという悲しい再会だ。アルビンが手伝うというので埋葬する土をスコップで村人に混じってかけた。キリスト教の形式だが、神父や牧師はいない。女性が歌を歌いあとについてみんなが歌っている。曲は「アメージンググレイス」とかだった。2メートルの深さに穴の底に棺おけが置かれ、男たちが交代でスコップで土をかけた。2、3分おきに「チェンジ」と声がかかり交代で土をかけた。娘たちが泣いていた。雪が止んだあとの暖かい夕方の陽射しが墓地を照らしていた。

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2008年2月26日 (火)

カナダ先住民居留地撮影旅行その一

14日からカナダのブリティッシュコロンビア州に行ってきた。帰国したときに発達した低気圧の通過で北海道は大荒れ、羽田空港内で一泊し、結局30時間かかってバンクーバーから自宅にたどり着いたのは24日の夜だった。

現地時間2月14日11時、バンクーバー空港に到着。パスポート審査で疑われながらも無事通過。その時、目立つカメラを肩からぶら下げていた。税関チェックで申告書の欄に職業上の機械類を持ち込むかどうかで、迷った末にイエスと書いた。これが間違いの元だった。目立つビデオカメラなので、ノーと書けば余計に面倒なことになると思った。別室に連れて行かれ根掘り葉掘りの質問が始まった。何の撮影かとかどこに行くのかとか聴かれ適当に応えたが、イミグレーションのオフィスへ行くように指示された。なかではラテン系の労働者の男たちが100人くらい列を作っていた。担当官に俺もこの列に並ぶのか、と聞くと、お前は別だと言われホットする。5人くらいの東アジア系の人間が並ぶ列に案内された。関西弁で商売人風の日本人の男が「あんたも捕まったんか、時々適当に捕まえて尋問するんや」という。すでに30分が経っており外では友人のアルビンが待っているはずだ。あせるが一人に15分以上かけて質問攻めしている。関西人がよせばいいのに文句を言い出してもめている。さらに30分後、ようやく自分の番がきた。

担当官はインド系の女。

「職業は?」 「ドキュメンタリー監督」

「これまでにどんな作品を作ったか?」 「沖縄の船大工の話」

どこに行くのか? 「ウィスラー(スキー場)」

「何しに行くのか」 「スキー」

観光なのに家族はどうしてこないのか?」 「女房は仕事で忙しいから」

そんなやり取りが15分。やっと解放されて外へ出たが案の定、友人は居なかった。電話してみるが通じない。何回かダイヤルしているところ後ろに友人アルビンが立っていた。5年ぶりの再会を喜び合って取材旅行が始まった。

車はアメリカ製のピックアップトラック。土建屋が彼の仕事だ。目的地の先住民居留地へ向かう。途中のウィスラースキー場は2010年の冬季オリンピック会場で道路の拡張工事がおこなわれていた。

「この土地はもともと先住民の土地だった。俺たちインディアンにはオリンピック関係の仕事は全然回ってこない。見てみろ、みんな白人労働者だ」と吐き捨てた。ウィスラーは北米最大のスキーリゾート。「一日リフトに乗ると2万円くらいかかるので、俺たちインディアンは遊べない」

有名な指名手配書がインディアンの家に張られているのをたびたび見る。1492年にアメリカ大陸に漂着し、その後、先住民虐殺の歴史の発端となった人物、クリストファー・コロンブスはいまだに逃走中である。

バンクーバーから3時間。日本を出て20時間、目的のインディアン居留地に到着した。夜の9時、どんよりとした曇り空から雪がちらついていた。周りは50センチくらいの積雪。この2,3日でかなり融けたという。

明日はさらに山奥に向かうことになっていた。

*注 一般的に先住民をインディアンとはいわずネイティブというが、最近、先住民の間でインディアンという呼び方が復活してきている。これは先住民自身が歴史を再確認し始めたと私は感じている。

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2008年2月10日 (日)

大和ハウスの石垣島リゾート問題が法廷へ

石垣島西海岸の米原海岸は市民の憩いの浜として利用者が多い。東シナ海に沈む夕日を眺めながら、シュノーケリングの疲れを癒すと「天国とはこういう場所をいうのだな」とそんな言葉が出てしまう。

夏になると、ウミガメが上陸し、必死の形相で親亀は200個あまりの卵を自らが掘った穴に産む。ひと月だったか砂の中で孵った子ガメたちは必死に重い砂を払いのけ、人生最初の難関を突破し、わき目も振らずに全速力で海へと旅立っていく。再びこの浜に戻ってくるのはわずか数匹。

石垣市中心部から車で30分も走ればこの米原海岸に着ける。この自然に目をつけ、大規模なリゾート地を作ろうとしているのが大阪に本社がある大和ハウスの子会社大和リゾートなる会社である。当初の計画では13階建てのホテルを建設するとぶちあげた。当然、反対の声があがった。一部の住民はその後、賛成にまわった。住民は賛成派と反対派に分裂した。そんな騒動のなかで市長選挙が行われた。現石垣市の大浜市長はこのリゾート計画に賛成している。市長は選挙中に大和リゾートの関係者と逢ったことを自ら認めた。市長は農地をリゾート開発できるよう判を押した。

大浜市長は景観条例をつくり島の自然を守ると言いつつもリゾート計画を認めるといった2枚の舌を使い分けている。

農業は島の重要な産業である。にもかかわらず石垣市はいとも簡単に農地をリゾート用地として本土企業のいわれるままに売り渡そうとしている。

昨日の八重山毎日新聞の記事にhttp://www.y-mainichi.co.jp/news/10409/なる記事が掲載された。

さて、大和ハウスっていう企業はほんとうに懲りない企業だなあ。何度かこのブログでも取り上げたが、いつまでたっても撤退しないものだから行政裁判に持ち込まれるわけだ。本業に専念しなさいと言っただろう?地震に強い家とか外断熱の家をつくるとか下手なコマーシャルでやってる通り、黙って住宅建設やればこんなことにはならなかったのに。

これで2回目だね。住民に訴訟起されるのは。前回は長野オリンピック前の長野県の飯綱高原リゾート開発計画だったね。これは撤退表明しないまま、地元住民を生活を引っかきまわし引き下がったね。

また、同じ失敗を繰り返すことになるのかい。リゾート計画担当者は今頃会社でどんな顔してデスクにすわっているのだろうか。

そういえば昨年、大和リゾートは赤字を隠す為に不正経理をやったと新聞やテレビで報じられていたのを思い出した。担当者はすでに会社にいないかもしれないな。ま、どうでもいい。

これだけ環境が国家的最重要課題として取り上げられても、一部の観光客の為のリゾート開発ってのは必要なのかい。これくらいの開発は地球にとってどうってことない、とでも考えているのかい。あんたたちのそんな考えが環境をここまで破壊してきたんだよ。いまや地球的規模の犯罪行為であるぞ。

そこのところ「ヨロシクお願いゴザイマス」だな。

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2008年2月 5日 (火)

捨て犬その三

日曜日の夕方、10日ぶりに山にスキーに行ってみた。クラクションを鳴らしても、犬たちは出てこない。ポケットに魚肉ソーセージ4本を入れ、森に入った。

すると、犬が吼えているではないか。2匹は元気だった。雪の積もっていない落ち葉の上に2匹を肩を寄せ合って厳冬の山で生き延びていた。一匹だけなら凍死していたかもしれない。2匹だからお互いの体温で冬を乗り越えているのだろう。

ソーセージを4本剥いて、放り投げた。しかし、遠吠えだけでなかなか寄って来ない。最初のころは尻尾を振って来ていたのに、人間にいじめられたのだろうか、警戒している。

その方がいい。気安く人間に近づくとろくな目にあわないぞ。

ここは、クロスカントリースキーやスノーシューの連中が集まる場所。弁当の残りを少しわけてもらって、空腹をしのいでいるのだろう。

寒さも今が峠。これからだんだん温かくなっていく。

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