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2008年2月26日 (火)

カナダ先住民居留地撮影旅行その一

14日からカナダのブリティッシュコロンビア州に行ってきた。帰国したときに発達した低気圧の通過で北海道は大荒れ、羽田空港内で一泊し、結局30時間かかってバンクーバーから自宅にたどり着いたのは24日の夜だった。

現地時間2月14日11時、バンクーバー空港に到着。パスポート審査で疑われながらも無事通過。その時、目立つカメラを肩からぶら下げていた。税関チェックで申告書の欄に職業上の機械類を持ち込むかどうかで、迷った末にイエスと書いた。これが間違いの元だった。目立つビデオカメラなので、ノーと書けば余計に面倒なことになると思った。別室に連れて行かれ根掘り葉掘りの質問が始まった。何の撮影かとかどこに行くのかとか聴かれ適当に応えたが、イミグレーションのオフィスへ行くように指示された。なかではラテン系の労働者の男たちが100人くらい列を作っていた。担当官に俺もこの列に並ぶのか、と聞くと、お前は別だと言われホットする。5人くらいの東アジア系の人間が並ぶ列に案内された。関西弁で商売人風の日本人の男が「あんたも捕まったんか、時々適当に捕まえて尋問するんや」という。すでに30分が経っており外では友人のアルビンが待っているはずだ。あせるが一人に15分以上かけて質問攻めしている。関西人がよせばいいのに文句を言い出してもめている。さらに30分後、ようやく自分の番がきた。

担当官はインド系の女。

「職業は?」 「ドキュメンタリー監督」

「これまでにどんな作品を作ったか?」 「沖縄の船大工の話」

どこに行くのか? 「ウィスラー(スキー場)」

「何しに行くのか」 「スキー」

観光なのに家族はどうしてこないのか?」 「女房は仕事で忙しいから」

そんなやり取りが15分。やっと解放されて外へ出たが案の定、友人は居なかった。電話してみるが通じない。何回かダイヤルしているところ後ろに友人アルビンが立っていた。5年ぶりの再会を喜び合って取材旅行が始まった。

車はアメリカ製のピックアップトラック。土建屋が彼の仕事だ。目的地の先住民居留地へ向かう。途中のウィスラースキー場は2010年の冬季オリンピック会場で道路の拡張工事がおこなわれていた。

「この土地はもともと先住民の土地だった。俺たちインディアンにはオリンピック関係の仕事は全然回ってこない。見てみろ、みんな白人労働者だ」と吐き捨てた。ウィスラーは北米最大のスキーリゾート。「一日リフトに乗ると2万円くらいかかるので、俺たちインディアンは遊べない」

有名な指名手配書がインディアンの家に張られているのをたびたび見る。1492年にアメリカ大陸に漂着し、その後、先住民虐殺の歴史の発端となった人物、クリストファー・コロンブスはいまだに逃走中である。

バンクーバーから3時間。日本を出て20時間、目的のインディアン居留地に到着した。夜の9時、どんよりとした曇り空から雪がちらついていた。周りは50センチくらいの積雪。この2,3日でかなり融けたという。

明日はさらに山奥に向かうことになっていた。

*注 一般的に先住民をインディアンとはいわずネイティブというが、最近、先住民の間でインディアンという呼び方が復活してきている。これは先住民自身が歴史を再確認し始めたと私は感じている。

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