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2008年3月29日 (土)

チベット弾圧と北京オリンピック

20年前になるが、インドのダージリンというヒマラヤに近い町でチベット人のダワという男と友達になった。その旅のあと音信は途絶えているが、彼はチベットからの難民で、ダライラマ14世が中国軍のチベット侵攻でインドに亡命した同時期にダージリンに逃げてきた一人だった。ダージリンには多くのチベット人が暮らしていた。ダワは登山隊の荷物を運ぶための馬を飼っていて、その馬に乗ってヒマラヤ山脈の麓を旅したことを思い出した。

1949年、毛沢東がチベット侵攻を始めて以来100万人が死者行方不明になっているという。1989年の戒厳令布告でチベット弾圧を指揮したのが現在の胡錦濤国家主席。彼が創価学会の池田大作と抱き合っている写真もネットで流れてるな。

チベットから送られてくる犠牲者の写真を見た。血だらけで腸がはみ出している。そのほか見るに耐えない遺体の数々。テレビや新聞が伝えない情報はすべてインターネットからだ。マスコミは北京オリンピックが中止になると困るのでなるべく押さえて報道している。ヨーロッパではオリンピック開会式のボイコットに向かいつつある。

100万人が殺されて国内問題では済まされないだろう。ポルポト政権時代のカンボジアと同じ状況が60年近く続いている状況は無視できない。虐殺された民族の怨念は少なくとも10世代は続く。

北京オリンピック競技のボイコットもありうるな。ボイコットした方がいいな。オリンピックに政治を持ち込むなという論理はいかにも国家の論理、民衆の論理からするとオリンピックこそこうした国家犯罪をアピールする最も効果的な機会である。

オリンピック出場が決定している選手たちに言いたい。君たちの参加しようとしているオリンピックはチベット族の血が滲んだ五輪の旗の下で行われることを認識してもらいたい。一人でも日本人選手の中からオリンピック出場を辞退する人間が出てくるのを期待しているぞ。

崇高な理念と理性を持つスポーツマンよ出て来い!

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2008年3月23日 (日)

カナダ先住民居留地撮影旅行その八

バンクーバーのフェリー乗り場。

料金先払いの駐車場に車を置いた。支払い機の前でクレジットカードを入れようとしたがうまくかず、ぐずぐずしていると、ものすごい美人のOLが親切にカードの入れ方を教えてくれた。二コールキッドマンみたいな女性だった。気分良くアルビンと2時間の船旅。BC州の州都ビクトリアのあるバンクーバー島のナナイモというこじんまりした町。気候が穏やかで芝生は緑、シュティカの山小屋の冬から一気に春のような気候へ移動した。

弁護士のクライ氏が迎えに来てくれた。彼はアフリカ系のアメリカ人だが、カナダの大學で博士号を取得し、現在はカナダで余生を送っている。国際的な人権団体から表彰された人物。最近心臓のバイパス手術を受けたとかで、声に力が入らないようだ。見たところ80歳くらいか。

住宅街の一角にある事務所兼自宅にお邪魔する。アルビンとは既知の間柄なので、インタビューはスムーズに進んだ。

彼にはカナダ憲法と先住民に関して質問した。

先住民にとって法律は二重構造となっているという。要するにカナダ憲法では先住民の土地利用に関する権利は認められている一方、森林伐採、リゾート開発が先住民の土地で進められている。先住民にすれば違法行為であり、開発側は合法的に事が進められるといった構造となっている。クライ氏もこの現状を認識していた。

イギリスからの独立以来、カナダでは先住民族とブリティッシュコロンビア州政府との間で土地についての所有権問題は未解決のままである。

裁判で訴えるには先住民には金銭的に大きな負担となっているのが現状である。

先住民の人権は守られているのかという質問に対して、彼は暴力の歴史だ、と一言で先住民に対する人権侵害の現状を切り捨てた。

静かに語る老弁護士の言葉には説得力があった。

アメリカで黒人の人権活動にその半生を捧げてきた彼の一言ひとことに、私たち日本人には計り知れない歴史の重みがある。

あっという間の2時間だった。別れ際、握手したその手の温もりを今も思い出す。

バンクーバーのフェリー埠頭で行きに会った美人のOLとまた一緒になった。「仕事が終わったのかい」とか声をかけると「そうよ、じゃあね」とお互い軽く笑顔で挨拶を交わし、アルビンと二人でまた山へと向かった。

ふと月を見ると月食だった。アルビンの自宅へ午後9時ごろ到着。

Lilwat2008_036そのころには満月に戻り、煌々と山を照らしていた。暖気が入っており、時々靄がかかり幻想的な月夜が谷間の村を包んでいた。

先住民居留地最後の夜となった。来た時からの約束だったアルビンが太鼓と歌を披露してくれるという。

焚き火の側で撮影が始まった。満月の光と焚き火の明かりが最高の舞台を演出した。自分は最近歌っていないので声が出るかどうかと前置きをしつつ、10曲ほどを次から次へと歌ってくれた。

撮影が終わると村に伝わる不思議な生き物の話になった。日本でもビッグフットと知られている、いわば「となりのトトロ」のようなスピリットがいるという。村人たちが儀式をやっているといつの間にかその輪の中に加わって、空を飛び、山を突き抜けて移動するという。

「今晩あたり出るかな」と聞くと、「カメラを持っているから出てこないよ」というアルビンの返事だった。また、「もののけ姫」に出てくる木霊もこの辺りにはいるという。だから、カナダの先住民には宮崎駿のアニメファンが多い。

満月、焚き火、谷間の静けさ、太鼓の音とアルビンの歌声、確かにその何かの気配を充分感じさせる夜だった。

こうして、最後の撮影は終わった。シュティカの山小屋での撮影は充分とはいえない。しかしアルビンのコーディネイトで予想以上の重要な証言を収録することができた。

翌朝は春のような陽気だった。

(カナダ先住民居留地撮影旅行記はこれでおわり)

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2008年3月20日 (木)

カナダ先住民居留地撮影旅行その七

 イラク開戦から5年が経った。死者は10万人を越えたという。ブッシュ大統領はイラク戦争を正しい戦争だったと演説で語っている。果たして、そんなことを考えている人間はこの人と周辺のとり巻き以外にいるのだろうか。犠牲者が10万人だとしてフセイン一人を捕まえて絞首刑にするのに9万9千999人が戦争の犠牲者となったといっても過言ではない。 今度の北海道洞爺湖サミットのテーマは環境。ブッシュ大統領の開戦責任問題は環境問題にすり替わってしまった。どうするアメリカ。世界にテロをばら撒き、我々をテロの恐怖に陥れた責任は重いぞ。苫小牧市役所なんかはペットボトルに明かりをともして「サミットの成功を祈りましょう」とかキャンペーン始めたぞ。我々はそんなことでもして「どうか爆弾テロはありませんように。そしてさっさとサミットが終わりますように」とお地蔵さんに祈るほかない。

カナダの旅は終盤となった。ウルブリンじいさんの家を早朝の4時に出発。ドライブインでコーヒーとサンドイッチの朝食。

どうしてももう一度、山小屋に住むヒュービーに聞きたいことがあったので、アルビンに無理を頼んで山へ戻ることにした。この旅でアルビンのほかに車の運転手を務めてくれているのがウォールト。彼のおかげで取材がスムーズに進んできた。感謝しなけらばならない。

途中の峠でマウンテンゴート(野生のヤギ)を撮影。昼ごろに山小屋に到着した。

Lilwat2008_014_2 狼犬スクラッチ、ともう一匹の大型の犬がまた吼えながら歓迎してくれた。

ヒュービーに8年間の山小屋生活について語ってもらった。その中の一言に私は感動した。

「この大地、世界は次の世代から借りている。子孫にいずれ返さなければならない」

我々は、まだ見ぬ子や孫たちから今の地球を借りている。だから、森や水、空気、動物や植物を未来に返さなければならない。アメリカ先住民族には七世代先の子孫のことを考えて行動せよ、という考えがあるという。この末期的症状の地球を救うのはヒュービーが言葉に残したように先住民族の思想ではないだろうか。確信に近い思いが脳に刻まれていく。

ブッシュアメリカ大統領に期待することは何も無い。

「明後日かそうでなければ来年もう一度来る」といいかげんな挨拶をして山小屋のヒュービーに別れを告げ、山を降りた。再びアルビン自宅。近くに住むアルビンの母親にインタビュー。この人の語りも素晴らしかった。明確な言葉でこの地域、カナダの先住民が抱える問題を聞くことができた。同席したアルビンの妹は山小屋に住むヒュービーを評してこう語った。「彼はすでに伝説の人だわ」彼らにとって8年間山小屋生活を送るヒュービーはヒーローとなっていた。

それにしても、インタビューする人たち全てが持つ思想には感服する。町のレストランで出会った女性もそうだった。彼女は4月にニューヨークの国連に出向いて先住民の活動を報告しに行くと言った。

バンクーバー島に住む弁護士へインタビューする為村を出発したのは夜だった。今夜はバンクーバーの日本人のお宅にお世話になり、翌朝のフェリーで島に渡ることにした。2月19日。カナダに入国して5日目。毎日があっという間に過ぎていく。密度の濃い取材旅行だ。寝る時間も惜しい。

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2008年3月18日 (火)

カナダ先住民居留地撮影旅行その六

ウルブリン爺さんは80歳を超えている。しかし、かなり頭脳明晰。ブリティッシュコロンビア州の歴史がすらすらとでてくる。年代も正確に覚えている。先住民と州政府との間でいつも問題になるのが、先住民族に関する法律の2重構造だ。

まだ、イギリス領だったころ、先住民側は大英帝国側と条約を締結している。そのとき先住民は領土の保全をイギリスと交わしている。しかし、BC州がイギリスからカナダに編入されたときに州側がこの条約は無効であると、かってに解釈した。したがって、州政府と先住民側で森林伐採、漁業権、リゾート開発などでいつまでたっても紛争になる。

そんな、話をウルブリン爺さんは朗々明快に解説した。

1995年に起ったグスタフスンレイク事件はそんな状況下で起った。

先住民の宗教儀式とでもいう、サンダンスというのがある。肉体的、精神的苦痛を伴うたいへん重要な儀式をその湖の近くでおこなってきた。牧場主なる白人がその場所を柵で囲って先住民を締め出したもんだから、先住民側は怒った。キャンプを張り、先住民は伝統的領土で伝統行事を行って何が悪いと猛反発した。

武装した州警察が出動し、銃撃戦にもなった。この先住民の行動隊長がウルブリン爺さんだったわけだ。5キロ先から狙撃手がライフルで爺さんを狙ったが爺さんには弾は当たらなかった。

ひとつ質問すると、この答えに30分はかかる。時々、えへへ、と笑いながら話す。友人のアルビンには「この爺さんの笑いには気をつけろよ」と忠告された。

顔は笑っているが、その視線が刺すような鋭さなのである。先住民族は超能力を持った人物がいる。メディスンマンと呼ばれるが、この爺さんもその中の一人か。

笑い顔につられない様に真剣に聞いていると、今度はシモネタの話になり大笑いする。インタビューも4時間以上続いた。

その夜は爺さんの奥さんが作ってくれたバッファロー料理をいただき、一宿一飯の恩義に与った。

ウルブリン爺さん。ビッグな人物であった。

明朝は午前4時に起きてシュティカの山小屋経由でバンクーバーの海向いにあるナナイモの町に向かうことになっていた。

次のインタビューは弁護士である。この老弁護士、アフリカ系アメリカ人の法学博士とアルビンから聞いた。

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2008年3月13日 (木)

カナダ先住民居留地撮影旅行その五

山小屋上空に突然ヘリコプターが現れた。「こんなことは初めてだ」とヒュービーがつぶやいた。ヘリの窓からこちらを見る乗務員の顔がはっきりと見て取れた。轟音を響かせて2回旋回し二、三百メートルほど離れたところに着陸した。連邦警察のヘリだった。

とっさに山小屋にある荷物を見えないように物陰に隠し、裏山に隠れた。余計なトラブルを避けるために森の中に身を潜め、ビデオカメラを構えた。ヒュービーはヘリの着陸地点に様子を見に行った。

しばらくして戻ってきた彼の話では、どうも、山に入っていたスキーヤーがヘリに収容されたという。

心配していたことは起こらずに済んだ。

その心配とは、何年か前に同じブリティッシュ・コロンビア州にあるサンピークス・スキーリゾート開発に反対する先住民が建てた小屋が、強制撤去された事件があったからだ。

これは凄い映像になる、との予想は外れた。

午後になって、ヒュービーの父親と亡くなった息子の娘たちが山小屋を尋ねてきた。父親は杖をつきながらゆっくりと歩いてきた。父親は昨夜見た夢の話をしにやってきた。

無くなった息子(ひゅイービーの兄)は「心配するな」と夢のなかで言ったという。それを聞いたヒュービーは安心した様子だった。娘たちに沖縄産の黒糖を勧めた。その甘さに驚いたようだった。

30分ほどで父親と娘たちは戻っていった。ヒュービーは森に薪を取りに行き、我々は夕食の準備を始めた。

夜遅くになって、二人の訪問者があった。バンクーバーに住む白人カップルだった。二人も食料の差し入れを持ってきた。こうして山小屋「シュティカ」は大勢の人たちの善意によって維持され、8年間、環境保護、地元先住民のシンボルとなってきた。

2月18日、午前9時、突然アルビンが戻ってきた。「ウルブリンがインタビィーに応じてくれるぞ」という。朝食も取らず、出かけることにした。その場所はここから車で4時間のドライブとなった。

ウルブリンとは1995年のグスタフソン湖蜂起のリーダーでカナダ先住民の間では伝説となっている人物である。願ってもないことだった。

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2008年3月12日 (水)

カナダ先住民居留地撮影旅行その四

2月18日

山小屋には名前が付いている。「シュティカ」、意味は彼らの言葉で「冬の魂」

この辺りは大昔から精神修養の場所だった。標高2000メートルの頂上付近は広い高原地帯となっており、山篭りをして、魂を磨いてきた場所であった。

山小屋の主、ヒュービーの用意してくれた羽毛の寝袋のおかげで温かい夜だった。薪ストーブのそばで寝たのは何年ぶりだろうか。ヒュービーがドアを開ける音で目が覚めた。小屋のすぐそばに湧き水がながれており、彼はポリタンクに水を詰めて運んできたところだった。やかんでお湯を沸かし、コーヒーを入れてくれた。小屋の中は意外と広い。すべて土間。20畳はあるだろう。ストーブのあるリビングルームに続いて、奥は食堂となっている。昨夜、出迎えてくれた狼犬がストーブの側で寝ている。名前はスクラッチ。ソファーを猫のように引っ掻くのが癖で、時々、ヒュービーに怒鳴られてはシュンとなって小屋から出て行く。

午前中はゆっくりとコーヒーを飲んだあと、裏山に薪を取りに行く。スクラッチが先頭を切って森の中を走り回っている。あっという間に姿を消して、上のほうで盛んに吼えている。薪の場所を教えてくれている。針葉樹の森は昨年の秋に枯れた立ち木を切り倒してあった。雪の上を2メートルほどの丸太をロープで引きずりながら小屋まで降ろしていく。チェーンソーで適当な長さに切って、薪割り用の斧で四つ割にする。「枯れ木を切り出して薪に使うので、森の掃除をやってるんだ」とヒュービーは手を休めながら語る。

午前10時ころになって谷間の小屋に陽があたる。真冬は4時間で太陽は西の山に姿を消す。

明け方、マイナス12度だった気温は陽が当たりだすと急激に上昇し、一気にプラス二度まであがった。つい10日前までは2メートルあった積雪がここ数日で半分ほどに減ったという。

遅い朝食となった。ヒュービーの作ったソーセージとピーマンのグリルと焚いた白米(インディカ米)、それと私が日本から持ってきたホーレンソウと卵のインスタントスープ。

なかなか豪華な朝食で驚いた。これらは支援者の差し入れ。しかもヒュービーは元レストランのコックであった。小屋に着た8年前は体重80キロ以上あったが今は60キロに落ちたという。適度の運動と湧き水と新鮮な空気で健康を取り戻したという。

午後12時ごろ、突然ヘリコプターの音が響いてきた。こんなことは8年の山小屋生活で初めてだという。一体何者なのか。我々に極度の緊張が走った。

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2008年3月 5日 (水)

カナダ先住民居留地撮影旅行その三

カナダから帰ってから捨て犬の様子を見に山に行ってきた。大雪のあと1メートルの積雪で犬の足跡さえ見ることはできなかった。

苫小牧に「アミダ様」というライブハウスがあり、友人であるオーナー、ツルさんのバンド「アミズム」のアコースティックに変身したバンド「ゴミズムアミダ様」が大阪のコンサートに出演することになった。「春一番」という名のコンサートで坂田明や山下洋介などが参加するジャズやブルースの豪華メンバーが出演するライブである。それで5人のメンバーの旅費を捻出することになった。ツルさんは「ギャラより高い、交通費」なんてのん気な歌を歌っていた。、メンバーの旅費を稼ぐ手段として2月に「アミダ様」で収録したものをDVDにして売り出すことになった。税込みで1200円はDVDとしては安いぞ。3月29日の「アミダ様」31周年記念の日に発売開始。只今、予約受付中! そんなこんなで5月の連休中、大阪開催のコンサートに同行することになった。

Lilwat2008_025さて、カナダ先住民居留地の旅である。

ヒュービーの兄の葬儀に参加し、再び公会堂での食事にありついたアルビンと私はいよいよ標高1000メートルの山小屋を目指すことになった。葬儀のため山を降りていた山小屋の主ヒュービーをのせてアルビンのピックアップトラックはぐんぐんを坂道を上がっていった。すでに陽は西に落ちた。一時間の後、目的の山小屋近くに車を止めた。小屋にはヒュービーのほかにもう一人若いスタッフがいて、ソリをもって迎えに来てくれた。そして、犬も出迎えてくれた。かなり大きな犬で狼の血が半分、コリー犬の血が半分入っているという。立つと人間ほどの大きさで新客を遠巻きに吼えながら歓迎してくれているようだった。 Lilwat2008_007

この小屋は8年前に建てられた。これには理由がある。2000年にこの山一帯に巨大なスキーリゾート開発の計画が持ち上がった。また。ここでもリゾート計画である。金銭欲に取り付かれた人間は際限なく利益を追求するようになる。この土地は地元先住民の伝統的な領土である。カナダ憲法は先住民の伝統的権利を認めているにもかかわらず、開発業者は土足で踏み込んでくる。この開発から山を守る為、先住民らのてによって山小屋が建てられた。それ以来、ヒュービーはずっとこの小屋に住んでる。この辺り一帯は「冬の魂」と呼ばれ、人々が集い、精神修養の場として知られ、春から秋にかけてはさまざまな食料を人々にもたらしてくれる重要な場所となっている。

私はバンクーバーで仕入れた食料を越冬中の二人に差し入れた。時々、この小屋を訪れる人たちが食料を寄付するのだという。ヒュービーたちが夏のあいだ育てた保存用の食料のほか、こうした支援者らの寄付によってこの「冬の魂」と呼ばれる山小屋は運営されている。

薪ストーブがの上にのったやかんから湯気がのぼっており、小屋の中はかなり暖かい。外気温はマイナス10度を下回っているはずだ。真冬の最低気温はマイナス25度くらいだという。

私は山の神に挨拶をする為、日本から持ってきたお神酒を小屋の前に撒き、無事たどり着いたことを感謝した。ところが、そのお神酒を小屋の中に持って入るとヒュービーの顔色が変わった。「ここではアルコールは禁止してるんだ」と言う。私は酒を持ち込んだ言い訳をして、納得してもらった。先住民はアルコール中毒患者が異常に多い。職も無く、酒を飲んで一日を過ごし、そして早死にしていく。残りの酒はアルビンに持って帰ってもらうことにした。

コーヒーを飲みながら、4人でストーブを囲んだ。今年で51歳になるアルビンはこれまでに7人の子供を授かった。そのうちの一人は6ヶ月で死んだと言う。村にある医者が赤ん坊に与えてはならない薬を処方したからだ。子どもの様子がおかしいのでバンクーバーの医者にみせると、その薬を見た中国人の医者がすぐに村医者に電話し、なぜこんな薬を飲ませたのかと問い詰めた。すでに薬の副作用で赤ん坊は手遅れで、幼い娘は間もなく息を引き取ったという。いつもは冗談ばかりいうアルビンの涙をこの時、初めて見た。

自宅へ戻るアルビンを見送った。満天の星が谷間の空に輝いていた。ギュッ、ギュッという雪を踏む音を鳴らしながら小屋へ戻り、寝袋にもぐりこんだ。時差ぼけでなかなか寝つけない夜だった。

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