« カナダ先住民居留地撮影旅行その七 | トップページ | チベット弾圧と北京オリンピック »

2008年3月23日 (日)

カナダ先住民居留地撮影旅行その八

バンクーバーのフェリー乗り場。

料金先払いの駐車場に車を置いた。支払い機の前でクレジットカードを入れようとしたがうまくかず、ぐずぐずしていると、ものすごい美人のOLが親切にカードの入れ方を教えてくれた。二コールキッドマンみたいな女性だった。気分良くアルビンと2時間の船旅。BC州の州都ビクトリアのあるバンクーバー島のナナイモというこじんまりした町。気候が穏やかで芝生は緑、シュティカの山小屋の冬から一気に春のような気候へ移動した。

弁護士のクライ氏が迎えに来てくれた。彼はアフリカ系のアメリカ人だが、カナダの大學で博士号を取得し、現在はカナダで余生を送っている。国際的な人権団体から表彰された人物。最近心臓のバイパス手術を受けたとかで、声に力が入らないようだ。見たところ80歳くらいか。

住宅街の一角にある事務所兼自宅にお邪魔する。アルビンとは既知の間柄なので、インタビューはスムーズに進んだ。

彼にはカナダ憲法と先住民に関して質問した。

先住民にとって法律は二重構造となっているという。要するにカナダ憲法では先住民の土地利用に関する権利は認められている一方、森林伐採、リゾート開発が先住民の土地で進められている。先住民にすれば違法行為であり、開発側は合法的に事が進められるといった構造となっている。クライ氏もこの現状を認識していた。

イギリスからの独立以来、カナダでは先住民族とブリティッシュコロンビア州政府との間で土地についての所有権問題は未解決のままである。

裁判で訴えるには先住民には金銭的に大きな負担となっているのが現状である。

先住民の人権は守られているのかという質問に対して、彼は暴力の歴史だ、と一言で先住民に対する人権侵害の現状を切り捨てた。

静かに語る老弁護士の言葉には説得力があった。

アメリカで黒人の人権活動にその半生を捧げてきた彼の一言ひとことに、私たち日本人には計り知れない歴史の重みがある。

あっという間の2時間だった。別れ際、握手したその手の温もりを今も思い出す。

バンクーバーのフェリー埠頭で行きに会った美人のOLとまた一緒になった。「仕事が終わったのかい」とか声をかけると「そうよ、じゃあね」とお互い軽く笑顔で挨拶を交わし、アルビンと二人でまた山へと向かった。

ふと月を見ると月食だった。アルビンの自宅へ午後9時ごろ到着。

Lilwat2008_036そのころには満月に戻り、煌々と山を照らしていた。暖気が入っており、時々靄がかかり幻想的な月夜が谷間の村を包んでいた。

先住民居留地最後の夜となった。来た時からの約束だったアルビンが太鼓と歌を披露してくれるという。

焚き火の側で撮影が始まった。満月の光と焚き火の明かりが最高の舞台を演出した。自分は最近歌っていないので声が出るかどうかと前置きをしつつ、10曲ほどを次から次へと歌ってくれた。

撮影が終わると村に伝わる不思議な生き物の話になった。日本でもビッグフットと知られている、いわば「となりのトトロ」のようなスピリットがいるという。村人たちが儀式をやっているといつの間にかその輪の中に加わって、空を飛び、山を突き抜けて移動するという。

「今晩あたり出るかな」と聞くと、「カメラを持っているから出てこないよ」というアルビンの返事だった。また、「もののけ姫」に出てくる木霊もこの辺りにはいるという。だから、カナダの先住民には宮崎駿のアニメファンが多い。

満月、焚き火、谷間の静けさ、太鼓の音とアルビンの歌声、確かにその何かの気配を充分感じさせる夜だった。

こうして、最後の撮影は終わった。シュティカの山小屋での撮影は充分とはいえない。しかしアルビンのコーディネイトで予想以上の重要な証言を収録することができた。

翌朝は春のような陽気だった。

(カナダ先住民居留地撮影旅行記はこれでおわり)

|

« カナダ先住民居留地撮影旅行その七 | トップページ | チベット弾圧と北京オリンピック »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: カナダ先住民居留地撮影旅行その八:

« カナダ先住民居留地撮影旅行その七 | トップページ | チベット弾圧と北京オリンピック »