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2008年8月28日 (木)

アフガンの悲劇

アフガニスタンでNGOペシャワール会の日本人、伊藤和也さんが拉致され遺体で見つかった。ペシャワール会はアフガニスタンでの活動が長く、現地でもその名前も知られていたようなので、無事に戻ってくるものと思っていたが、非常に残念でならない。

ペシャワール会の代表の中村哲さんは同郷でもあり、会の活動は以前から注目していただけになんとも痛ましい。

今年、苫小牧で中村さんの講演があったばかりだ。

中村さんは日本がアメリカ軍への給油活動を始めたことでアフガニスタン人の日本への反感が広がったと、その影響に苦慮していたようだ。

今回、その不安が現実となってしまった。

日本では国会の開催が決まったばかりで、会期中にはアメリカ軍への給油の延長する法案が自民、公明の与党により再び決まろうとしていた矢先の出来事だ。

日本政府に対するアフガニスタンの反米勢力による警告の可能性もある。

反米勢力と書いたが、アフガンではほとんどの人たちが反米勢力に違いない。誤爆と言いつつ平気で市民の上に爆弾を投下するアメリカにシンパシーを抱くこと自体が彼らにはありえない。

これ以上のアメリカ追随はやめろ。ネオコンたちが笑っているぞ「日本はちょろい」とな。

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2008年8月13日 (水)

カナダ先住民の少年

ホームステイした少年が我が家を去った。

少年の名はアティラ。17歳の高校生だが、大人に見られたくて時々20歳と言っていたのが懐かしい。

先住民族サミットに飛び入り参加し、自分の故郷で計画されているリゾート開発計画を会議で発表した。

その様子はテレビニュースで取り上げられ、そのコピーをカナダに送ると村中が大騒ぎになったそうだ。

また、製作中の映画「ミスタームーンライト」に飛び入り出演した、その映画に競演した女の子とも恋仲になった。

父親と僕とは親友で、カナダに行った2月のドキュメンタリー映画の取材ではコーディネーターを務めてくれ、たいへんお世話になったこともあり、彼が無事に一ヶ月半を有意義に過ごす事ができたのが嬉しい。

アティラは子供のころ母親がアルコール中毒になり、両親は離婚、その後は親類のおばさんに育てられた。物心が付いたころ彼は両親をうらんだと言う。無理もない話しだ。

そんな、複雑な家庭環境に育ったこともあってか、湖に連れて行った時にひとりで物思いにふけることがあった。 我が家では僕は父親として接し、女房は母親として接した。時には叱る事もあった。

家に来てからすぐに、プレステ2を買ったり、かなり金使いが荒いな、思っていると小遣いを使い果たした。かなりのゲームマニアで、将来は日本でゲームソフトを作る仕事に就きたいと言った。

初めのうちは、日本語教えていたが、そのうちにあくびをするようになり、やる気のなさにこっちもあきらめた。ゲームには熱中するがその他のことには集中力が欠ける。ゲーム少年特有の症状だろうか。

無理やり連れ出して、仕事の手伝いをさせて、小遣いをやったりしたが、すぐに使い果たす。「Save your money !」と時々叱った。両親の愛を知らずに育った彼は物にこだわり、寂しさを紛らわせていたように見えた。

彼のほうから積極的に話しかけたり、質問することは少なかったが、こちらからの問いかけには笑顔で反応しよくしゃべった。北海道で一番の思い出は、人との会話だったそうだ。カナダとはまったく違う文化、習慣に戸惑い、カルチャーショックを受けたようだった。

初めのうちは味噌汁を音を立てずに飲んでいたが、最近はズルズルと音をたてソーメンや冷やし中華をおいしそうに食べていた。日本食はたこ焼き以外はなんでも食べた。くるくる寿司が気に入り、一時間も歩いて一人で食べに行ったこともあった。

彼の映画の台詞は「毎度様でーす」と「ありがとう」それから、居酒屋のアルバイトの女の子とのキスシーンが嬉しかったようだ。ストーリーが分からないので「なんだか分からないけどとっても楽しかった」そうで、完成したらDVDを是非とも送ってくれ、と懇願していた。

そりゃ、そうだろう。恋仲になった女の子とキスシーンをストーリーに入れてもらったのだからね。

登別温泉で買った木刀も持って帰った。浴衣一式も土産に持たせた。バンクーバーの空路、飛行機の中では浴衣と下駄を履くといって言った。

それにしてもモテル男だったな。来年の冬にまた来るそうだ。少しは成長してろよ少年!

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