« さらばアメリカ型資本主義 | トップページ | オバマ新大統領 »

2008年10月12日 (日)

緒形拳と三浦和義の死について考えた

俳優の緒形拳とロス疑惑の三浦和義がこの世を去った。

緒方拳は誰もが認める日本を代表する俳優であった。人生を全うした彼の演じた映画で今浮かんでいるのは、楢山節考。深沢七郎の原作も名作であったし、この映画の監督今村昌平も僕の大好きな監督だった。楢山節考は---山と山が連なっていて、どこまでも山ばかりである。この信州の山々の間にある村---という文で始まる。長野県での生活を思い出す日本の原風景を表現し、僕の人生に少なからず影響を与えてくれた三人が鬼籍に入った。いまごろ、あの世で三人が手を組んで、また映画でも作ろうかなんて話してるのだろうな。

人生は魂の修行の場であると云われる。緒形拳は見事にこの世の人生で修行を遂行された。

一方で三浦和義。この世の修行を完了することなく自ら命を絶った。ロスの事件は疑惑のままだ。本当に無罪であれば、アメリカで闘うべきだった。彼の死で疑惑が深まったとの感があるが、もしも無罪であれば、闘争に疲れたのかもしれない。

自殺という手段を選んだことで、その魂はまた一から修行をやり直さなければならないのだろう。次の人生で。

緒形拳の魂と三浦和義の魂は、あの世ではすれ違うこともないのだろうという気がする。

|

« さらばアメリカ型資本主義 | トップページ | オバマ新大統領 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 緒形拳と三浦和義の死について考えた:

« さらばアメリカ型資本主義 | トップページ | オバマ新大統領 »