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2009年1月 1日 (木)

映画 忘月日記

二〇〇九年 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

撮影開始から三年。29日にライブハウス・アミダ様で製作、報道関係者を招いて特別試写会を開いた。

言いだしっぺのプロダクションが映画制作からいつの間にか撤退、主役が二度変更するという挫折を乗り越えて、ようやく完成までたどり着いた。

これまで制作に携わった友人たちに感謝せずにいられない。

挫折しなかたらと考えると、平坦なストーリーで面白くもおかしくも無い作品になっていた可能性が高い。

失敗は成功の元。結果としてメリハリの利いた物語りとなった。

副題は 「月つむぐ物語り」とした。また、スケッチブックが狂言回しとなり、物語りの進行上、重要な要素となった。

タイトルに月があるように、物語りの途中に時々、月が登場する。影の主役である。

あらすじは、東京からフェリーで苫小牧に来た女性サオリと喫茶店で働く主人公レイが出会う。二人は初対面ながら、どこかで会ったような感じを受ける。

レイの紹介で、春の渡り鳥が空を埋めるウトナイ湖を訪れる。その後サオリはポストマン・ジョニーと名乗る郵便配達夫、山菜取りの老人に導かれ、春本番の里山でニリンソウなどが咲くお花畑を訪れる。

春が過ぎ、夏の海で突然サオリは消息を絶つ。ひと夏の騒動があり、そして秋のポロトコタンへと場面は移り、ミステリアスなラストシーンが待っていた。

春、夏、秋の3部構成になっている。というかならざるを得なかったのだが、初めてのフィクションとしてはまずまずの出来上がり出はないかと自負している。

ところが地元苫小牧の映画館のオーナーが上映に乗る気が無い。

ドキュメンタリー作家がフィクションのメガホンを持ったのが気に入らないらしい。

それは無いだろう。

ぼくは目的を達成する為には手段を選ばない。今までも、スチール写真、ペンと道具を変えながら取材し発表を重ねてきた。今でこそドキュメンタリー作家という肩書きだが、フィクション映画だって道具として使う。作品つくりが目的ではない。

この忘月日記の秋の場面で、先住民族アイヌの長老とレイの会話の中でこの映画で一番表現したかった台詞が交わされる。

年明けにはDVD発売予定

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コメント

歴史の仮定の話をしてもしょうがないですが、もし主役が変わってなかった場合の忘月日記も見てみたかったです。無理ですけども…

監督の感情や信念等の表現方法としてフィクションもドキュメンタリーも手段は違いますが共通部分があるのではないかと思いました。

では、今年もよろしくお願いします。

あ、昨日はビール御馳走様でしたー。

投稿: kazuya | 2009年1月 1日 (木) 12時30分

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