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2009年3月 6日 (金)

小沢一郎は検察と闘うべきだ その二

日本が中国と国交を回復した1972年当時、アメリカは田中角栄の中国寄りの政策に危機感を持っていた。ベトナム戦争が泥沼化していた時期だ。いわゆるドミノ理論によりインドシナ諸国の共産主義化を食い止めるのに必死だった。

中南米でも同じことをやった。チリでは民主的な選挙で選ばれたアジェンデ政権に対し、アメリカは独裁者ピノチェト将軍を使いクーデターを支援し、ピノチェトはアジェンデ大統領を殺害(1973年9月11日=ラテンアメリカの9.11事件)、その後民主化を望む多くの学生を含む多数の市民を虐殺した。当時アメリカは民主主義を次々と潰してきたのだ。社会主義的民主国家よりも軍事独裁政権のほうがアメリカ経済にとって都合が良かった。

そして今回の小沢一郎による、第七艦隊発言でアメリカは次期小沢政権に危機感を抱いたのだ。これまでの日米関係の激変を危惧したアメリカ政治、経済界を握る黒幕が仕掛けた事件である可能性が高いと考える。だからこの時期(総選挙前)に捜査を始めたのだ。

クリントン長官が来日した理由は、小沢一郎が考える今後の日米関係についての意思確認が第一の目的だったと思う。アメリカは麻生政権をすでに相手にしていないのは明らかだ。小沢一郎は当初クリントンとの会見を断ったと聞いている。アメリカにとって日本はこれまでのように、おとなしい、何でもアメリカの言うことを聞く飼い犬のような自民党政権がもっとも喜ばしいのである。町村元外務大臣のように小沢発言を「とんでもない」と言い捨てるように、アメリカべったりの良い子であれば、今回の事件は発生しなかった可能性が高い。

小沢一郎のように、クリントン長官を前に同等同権的日米関係を主張する総理大臣では都合が悪かったのだろう。

30年前のロッキード事件は国策捜査だったという意見も根強く残っている。ロシアと急接近した鈴木宗男の事件はまだ記憶に新しい。

今後の日本社会の方向を考えるとどうだろう。

アメリカ頼りの今までの単純外交政治を続けるのか、中国、ロシア、アジア、アフリカなどとの関係を強化していく全方位外交にシフトするのがいいのか。答えは後者に決まっている。すでに瀕死のアメリカ経済はオバマでも復活させるのは難しいだろうと予想専門家は少なくない。アメリカに依存した日本の経済はボロボロじゃあないか。このままでは日本に未来はない。100年に一度の危機を好機と捉える積極姿勢が今の政治には求められているはずだ。

小沢降ろしが成功し、旧態依然の政治が続くのであれば日本はこのままアメリカと心中する道をたどるであろう。

今回の事件はこんな歴史的構造改革のチャンスをつぶすアメリカのクーデター的もくろみが見えてくる。小沢一郎つぶしに腐れ縁的日米関係が見えてきた。このままでは日本は大転換の時期を逃すことになる。

小沢一郎の国策捜査対決姿勢を支持するのはこんな理由からだ。マスコミは目先の金権政治家つぶしの流れに乗るとアメリカの思う壺にはまるぞ。

捜査の裏を読んでみた私のような素人の想像にすぎないのだろうか。

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2009年3月 5日 (木)

小沢一郎は検察と闘うべきだ

民主党の小沢党首の側近が逮捕された。

このニュースを聞いたときに「これだったのか」と思った。麻生首相が待っていたのはこの事件だったのか。麻生は知っていたのだ。これまでのやめろコールにもかかわらず、耐えてこれたのはこれだったのだ。

そう思うと、すべてが納得できる。

先の渡米で、オバマ大統領のとの会談のとき、ひそひそ話しをした場面があった。あのとき麻生はこう言ったのだ。「もうすぐ、民主党の小沢の捜査が始まるよ」

小沢一郎は「これは国策捜査だ」と最初から言っている。そのとおりだと思う。国策捜査に間違いはない。

なぜなら、1976年のロッキード事件を思い出す。あのときの田中角栄元首相がそうだった。当時、田中角栄の秘蔵子だった小沢は痛烈に思い出しているはずだ。そして今回「やっぱり来たか」と。

1972年日本は日中国交を回復し、田中角栄と周恩来は歴史的な握手を交わした。

(明日に続く)

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