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2009年10月 4日 (日)

民主党の政治と私ら市民の役割

経済の歴史を考えた。

最初は自給自足でそのうちに物々交換がはじまった。次に人類は幸か不幸か貨幣を発明した。そして「賢い」者が富を蓄積し始め経済格差を生んだ。

富の集中で支配者が現れ、権力を掌握し政治経済を司り、ますます一部の人間が富を支配する結果となった。

この社会構造が定着し現在に至っている。自民党的政治は富を持つものと富を支える庶民の役割をこれまでと変わらず続けようとした。庶民は富を支配する側に立とうとして必死に努力を続け、これまでの経済の仕組みになんら問題はないものとして受け入れてきた。

気が付けば、富は一方通行のまま(一部は庶民にも回っては来たが)いつまでたっても庶民の幸福度は上がってはこなかった。

この仕組みに待ったをかけ、富の分配の仕組みを変えてもっと富を支える庶民の生活を向上させようとしているのが、民主党の政治だと期待している。

経済の国家統制は社会主義的だと批判する者がいる。今こういった批判するのはこれまでの政治で富を独占してきた側であろう。一度おいしい汁を吸った者はなかなか手放そうとはしない。だから富の分配は機能しなかった。自民党は言う。まず富の分配元を太らせて、市民に分配する。そこんところがどうしても信用できない。

「留まる水は腐る」ように金も然り。

前にも書いたが、資本主義時々社会主義でいいとした。谷垣自民党総裁のいう保守だろうが革新だろうが言葉の定義はこの期に及んではどうでもいい。

富の一方通行は、庶民の反発を買い流血の革命が欧米でかつて起きた。暴力革命は新たな支配者を生むだけで経済構造は変わらなかった。明治維新もそうだった。

「金は天下の回り物」というではないか。

目先の儲けに血眼になっていては富は二代目で傾き、例外を除いては三代目には使い果たしてしまうのが落ちであろう。その代表が麻生太郎であった。このままでは民主党、共産党、社民党、国民新党があれば充分で自民党不要論が出てくるかもしれない。いわんや公明党は---。

幸福な社会とは、金が回りまわって気が付いたら手元に巡ってくる。金よりももっと大切なものが各家庭に蓄えられている。そんな社会へのスタート台にやっと立った気がする。市民が政治家をチェックし、叱咤激励して育てる社会にしたい。

政治家は、家族の幸福を守るのが精一杯で全体を見る時間がない市民に代わって、全体の流れを交通整理する我々の代理人にすぎない。社会の設計士という政治家や施工する官僚を雇っているのは我々であるぞ。それぞれの役割を分担しているだけだ。

一時は日本社会に絶望しやけくそになった時があったが、雲の間から光が差し込んできたエンジェルズラダーのような希望が見えてきた。

もしも民主党が市民を裏切ったときはまた革命が起こるかもしれない。政治家諸君の責任は大きいぞ。

いつも言うが「自由、平等、博愛(友愛)」社会を発明した北米先住民は7代先のことを考えて行動の基準としているそうだ。

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