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2010年7月26日 (月)

ハイダグワイ旅行記 その八

トーテムポールの製作現場に子供たちがよく遊びに来る。子供たちはトーテムポールの上にのって遊ぶのが大好きだ。

私たち日本人の感覚では、仕事の邪魔になるし、刃物もあるので子供を寄せ付けないだろう。しかし、彼らはまったく気にしない。知り合いの子供が来れば喜んでポールの上に乗せてあげる。「ここは熊の顔を掘っているんだよ。わかるかい?」と子供たちにハイダの伝統をそれとなく優しく教えていこうという気持ちが伝わってくる 。

Totem_pole_3

トーテムポールの設計図Totem_pole_blue_print

村に立つ新しいトーテムポールが海に向かって立っている。

Totem_pole_4

J君の家でハイダの伝統食をご馳走になった。茹でた子持ち昆布、シシャモの燻製、ハリバット(オヒョウ)のフライ。

Haida_foods

ハリバットは大味で美味しくないと日本では聞いていたのだが、なかなかいけてる。鶏のささ身のようだ。近くのレストランで食べたハリバットとジャガイモのフライ(フィッシュ&チップス)は最高にうまかった。ビールがあればなおさらうまい。日本に帰ってから痛風がでたのはきっとビールの飲みすぎと子持ち昆布の食べすぎだろう。

食事の後にJ君の妻のJCが太鼓をたたき歌を歌ってくれた。透き通った味わいのある声だった。子供のNちゃんがその歌にあわせ、小さなマントを背負って踊ってくれた。

Nora

JCの歌声はプロとしていける。CDを出したらうけること間違いなし。カナダを立つ前にハイダの歌のCDをさんざん探したが見つからなかった。今度行ったときはお願いしてしっかりと歌ってもらおう。

今回の旅でハイダグワイのつながりがしっかりと出来た。200年前にヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘はハイダの人口の90%を殺した。ハイダ語を話すのは老人だけだと思っていたが、現在は若い人たちも勉強しけっこう話せるようになってきたそうだ。Nちゃんはお母さんのことを「アワ、アワ」とハイダ語で呼んでいたのを思い出す。

まだ、帰国してから一月余りだが今度はいつ行こうかと思案している。ハイダグワイのドキュメンタリーのテーマも決まった。

苔むした森、豊饒の海、静かで人なつっこいハイダの人々。しかし、ハイダを離れながらフェリーから見たハイダグワイは森林伐採の跡が痛々しかった。それでも人々の森を守る活動はねばり強く続けられている。

Haida_guwaii_2_2

国際運転免許証を持っていかなかったので、移動に苦労した。島内の移動はタクシー、バスとヒッチハイクだった。旅の直前の天気予報ではほとんど毎日雨が降るのを覚悟していたのだが、滞在した十日の間に一日か二日ほど雨が降っただけでほとんど晴天が続いた。気温は日中で10度から12度くらい。薄いセーターの上にレインジャケットを着たり脱いだりして快適に過ごせた。うわさに聞いていたウニは食べられなかったのとニジマス釣りが出来なかったのだ心残りだが、次回の楽しみに取っておこうと思う。

Haida_guwaii_3

             ハイダグワイ旅行記2010はこれでおわり。

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