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2010年7月23日 (金)

ハイダグワイ旅行記 その七

オールドマセットというハイダアグワイ北部の町に立つ新しい2本のトーテムポール。最近は若者たちによるトーテムポール作りが盛んに行われるようになった。

前出のミスターGに息子たちがトーテムポールを作っていることを聞き、彼らに会う為に北部へと向かった。

ほとんどの観光客は南部の廃村となり朽ち果てようとするトーテムポールをを見学に行く。年間の入域人数が制限されており、また一人15万円を払ってツアーで行くのが一般的となっている。貧乏旅行の我々にとってそんな出費は無理だった。

気を取り直して、天然痘で村人が居なくなった遺跡を見るより現在のハイダの人々の生活を知るほうがよかろうと思い。観光客のいない村へと足を運んだ。

Totem_pole_1_2

個人の住宅を半地下がゲストルームになっているB&Bに宿を選んだ。一泊朝食つきで二人8千円ほど、大声で笑う愉快なおばちゃんが経営する宿である。以前はアルバータ州で農場をやっていたが、ご主人をなくして移り住んできたという。息子さんもこの村で一家を構えているという。Odlys_house

この宿に決めたのが大あたり。息子さんはトーテムポールを作っているハイダの若者と友達だという。しかも宿から歩いても15分ほどの距離というではないか。早速連れて行ってもらうことになった。

30才前後の二人の男を紹介してくれた。兄のG君と弟のJ君そして時々手伝う40才くらいと20才の男たち。

高知県の高校に留学経験があるというGに「君たちのお父さんは政治家かなんかやってるのかい?」と聞くと「プレジデントだ」という。ミスター Gはハイダネーションの大統領で政治的にはトップの地位にある。どうりで秘書が付いてスケジュールの調整をやっていたわけだ。見ず知らずの外国人が「こんにちは」といって簡単に合える人物ではないのだ。息子たちに聞くところによると「今はバンクーバーで環境省と森林伐採についての交渉をやってるはずだ」という。

トーテムポールには必ずストーリーがある。まずストーリーを創り、何を彫っていくかを図面に書き彫りこんでいく。すでに3割ほど彫刻が進んでいた。チェーンソウやノミ、チョウナが主な道具が並んでいた。このレッドシダーの大木は樹齢500年を越えていた。

Totem_pole_2

トーテムポールの製作現場に出会った! 何かが好運をもたらしてくれた。その何かに感謝せずには居られなかった。ちょうどワールドカップサッカーで日本がカメルーンに勝利した日だった。それも宿のテレビで中継も見られたのだからなおさらであった。

有難い事だったが、実は何のアポもなしに旅に出て幸運に恵まれることはこれまでの旅でも何度か経験している。ブラジルのシャバンチ族セレワフ、インドのチベット族ダワがそうだった。Manto                マントに刺繍された熊の図

             われわれはハイダグワイに歓迎されたのだ。

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