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2011年4月17日 (日)

被災地

津波の映像は何度か見てきたけれども、被災地に足を踏み入れると被害の大きさに圧倒され、言葉を失う。

波に飲み込まれた人々、その様子を目も前に見せ付けられた人々のことを思うと精神的なダメージの大きさは計り知れない。

先週、4泊5日の被災地撮影から戻ってきた。

岩手県田野畑村。人口は4千人余り。主な産業は水産と酪農である。北上山地が太平洋にそのまま落ち込むリアス式海岸なので平野は村全体の16%。断崖絶壁の岩山と岩山の間の土地にある漁村が大津波によって被害を受けた。高台に残る家を見ると津波の高さは40メートルくらいはあったのではないだろうか。Uvs110416013

港にはつぶれたままの軽トラックが放置されていた。

家族で漁業を営む斉藤さんというベテランの方に話をうかがうことができた。「油断があったんだ。今度の津波警報もたいしたことはないだろうという、油断があったんだ」もう一人の佐藤さんというお年寄りは「年寄りや子供は真っ先に高台に逃げた。若い人たちが津波にやられた」 斉藤さんは地震当日は宮古市の港に魚を水揚げして休んでいたという。地震があったので船に乗って沖に逃げたそうだ。引き潮が大きな渦を巻いていたが、どうにか津波を乗り越えて逃げられたという。港に帰る途中に三人を海から拾い上げて救助した。「津波というやつは家だけではなく、顔見知りの人もさらっていった。悔しい」といって人目をはばからずに泣いた。敗戦後の食糧難を経験した斉藤さんは「もう一度やり直そうと思う。もう一度頑張ってみようと思う」と涙ながらにカメラに向かって決意を表した。「だけど三年や五年では元通りにはならないと思う。10年くらはかかるんではないか」と覚悟をきめた。Uvs110416003

流された三陸鉄道の線路の横に花束が置いてあった。おにぎりといっしょだった。この村の使者行方不明者は39名だそうだ。ほとんどは顔見知りの人たちだっただろう。それだけに村人の悲しみは深い。

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