2012年5月 9日 (水)

弘前の桜 2012年5月2日
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桜の花見を生まれて初めて体験した。わざわざ、桜の見物に行くことはないと思っていたが、弘前城の桜はその数も多かったし、何より凄みがあって驚いた。樹齢は100年を超えており、幹にも迫力を感じた。そろそろ寿命に近づいている樹が多かったので、まだ見ていない人は是非、弘前の桜を観たほうがいい。
 

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2011年10月27日 (木)

青森の旅

青森にブナの森と岩木山を見に行ってきた。写真は十和田湖東側の山林のブナの森。帰りに通った八甲田山麓の森の方が凄かったが、日が暮れていい写真が撮れなかった。Documentary_edge_campus_046 ブナ林は本州で森が育っていった過程で見せる最後の完成した姿である極相林である、と聞いている。(森林の専門外なので間違っていなければだが) 何もない地面に草が生え出してから数百年が経過しなければブナ林に育たない。それだけ貴重な森である。宇宙人に地球の自然を案内するとしたらこのブナ林に連れて行け。きっと感動するだろう。銀河宇宙に誇る日本の森である。

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ブナの森に行く手前の青森県新郷村で十字架を見つけた。案内板にはキリストと弟のイスキリの墓だと書いてあった。この地は戸来(へらい)という「ヘブライ」が訛ったのだそうだ。ナキャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー」と歌う盆踊りはヘブライ語で「貴方の名を褒め称えん」と訳せるというから、えらいこっちゃ。かの有名な「竹内文書」をもとに昭和初期に発見された。十字架で処刑されたのはキリストの弟のイスキリでキリストは難を逃れこの地で101歳の天寿を全うしたというから、どんなもんじゃい。小生はこれを作り話として笑い飛ばすことはしない。なぜなら、この村の人たちの顔をよく見るとたしかに中東や地中海でみる顔が多かったからだ。今度「ナキャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー」と歌う盆踊りを見に行こう。近くにある大石神のピラミッド(巨石群)も一見の価値あり。

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左の写真は津軽富士と呼ばれる岩木山の麓にある岩木山神社の境内にある御手洗い。下は頂上に雲がかかる岩木山と林檎畑。Documentary_edge_campus_058

この山は独立峰で津軽平野どこからでも拝める霊山である。円錐形の火山の麓は作物がよく育つと言われている。理由はその形の火山は宇宙エネルギーを受信するアンテナの役割を果たし、農作物に良い影響(磁気)を与えるからだそうだ。アイルランドにはそうした塔が実際に建っていて、その周辺の畑は他所の畑に比べて収穫率が高い。エジプトやメキシコのピラミッドも同じように農作物にいい影響を与えていたという。本(宇宙エネルギーがここに隠されていた―原子力も石油も必要なかった)にそう書いてあった。無農薬りんごを育てる木村秋則さんの畑も岩木山山麓にある。

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2010年7月26日 (月)

ハイダグワイ旅行記 その八

トーテムポールの製作現場に子供たちがよく遊びに来る。子供たちはトーテムポールの上にのって遊ぶのが大好きだ。

私たち日本人の感覚では、仕事の邪魔になるし、刃物もあるので子供を寄せ付けないだろう。しかし、彼らはまったく気にしない。知り合いの子供が来れば喜んでポールの上に乗せてあげる。「ここは熊の顔を掘っているんだよ。わかるかい?」と子供たちにハイダの伝統をそれとなく優しく教えていこうという気持ちが伝わってくる 。

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トーテムポールの設計図Totem_pole_blue_print

村に立つ新しいトーテムポールが海に向かって立っている。

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J君の家でハイダの伝統食をご馳走になった。茹でた子持ち昆布、シシャモの燻製、ハリバット(オヒョウ)のフライ。

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ハリバットは大味で美味しくないと日本では聞いていたのだが、なかなかいけてる。鶏のささ身のようだ。近くのレストランで食べたハリバットとジャガイモのフライ(フィッシュ&チップス)は最高にうまかった。ビールがあればなおさらうまい。日本に帰ってから痛風がでたのはきっとビールの飲みすぎと子持ち昆布の食べすぎだろう。

食事の後にJ君の妻のJCが太鼓をたたき歌を歌ってくれた。透き通った味わいのある声だった。子供のNちゃんがその歌にあわせ、小さなマントを背負って踊ってくれた。

Nora

JCの歌声はプロとしていける。CDを出したらうけること間違いなし。カナダを立つ前にハイダの歌のCDをさんざん探したが見つからなかった。今度行ったときはお願いしてしっかりと歌ってもらおう。

今回の旅でハイダグワイのつながりがしっかりと出来た。200年前にヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘はハイダの人口の90%を殺した。ハイダ語を話すのは老人だけだと思っていたが、現在は若い人たちも勉強しけっこう話せるようになってきたそうだ。Nちゃんはお母さんのことを「アワ、アワ」とハイダ語で呼んでいたのを思い出す。

まだ、帰国してから一月余りだが今度はいつ行こうかと思案している。ハイダグワイのドキュメンタリーのテーマも決まった。

苔むした森、豊饒の海、静かで人なつっこいハイダの人々。しかし、ハイダを離れながらフェリーから見たハイダグワイは森林伐採の跡が痛々しかった。それでも人々の森を守る活動はねばり強く続けられている。

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国際運転免許証を持っていかなかったので、移動に苦労した。島内の移動はタクシー、バスとヒッチハイクだった。旅の直前の天気予報ではほとんど毎日雨が降るのを覚悟していたのだが、滞在した十日の間に一日か二日ほど雨が降っただけでほとんど晴天が続いた。気温は日中で10度から12度くらい。薄いセーターの上にレインジャケットを着たり脱いだりして快適に過ごせた。うわさに聞いていたウニは食べられなかったのとニジマス釣りが出来なかったのだ心残りだが、次回の楽しみに取っておこうと思う。

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             ハイダグワイ旅行記2010はこれでおわり。

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2010年7月23日 (金)

ハイダグワイ旅行記 その七

オールドマセットというハイダアグワイ北部の町に立つ新しい2本のトーテムポール。最近は若者たちによるトーテムポール作りが盛んに行われるようになった。

前出のミスターGに息子たちがトーテムポールを作っていることを聞き、彼らに会う為に北部へと向かった。

ほとんどの観光客は南部の廃村となり朽ち果てようとするトーテムポールをを見学に行く。年間の入域人数が制限されており、また一人15万円を払ってツアーで行くのが一般的となっている。貧乏旅行の我々にとってそんな出費は無理だった。

気を取り直して、天然痘で村人が居なくなった遺跡を見るより現在のハイダの人々の生活を知るほうがよかろうと思い。観光客のいない村へと足を運んだ。

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個人の住宅を半地下がゲストルームになっているB&Bに宿を選んだ。一泊朝食つきで二人8千円ほど、大声で笑う愉快なおばちゃんが経営する宿である。以前はアルバータ州で農場をやっていたが、ご主人をなくして移り住んできたという。息子さんもこの村で一家を構えているという。Odlys_house

この宿に決めたのが大あたり。息子さんはトーテムポールを作っているハイダの若者と友達だという。しかも宿から歩いても15分ほどの距離というではないか。早速連れて行ってもらうことになった。

30才前後の二人の男を紹介してくれた。兄のG君と弟のJ君そして時々手伝う40才くらいと20才の男たち。

高知県の高校に留学経験があるというGに「君たちのお父さんは政治家かなんかやってるのかい?」と聞くと「プレジデントだ」という。ミスター Gはハイダネーションの大統領で政治的にはトップの地位にある。どうりで秘書が付いてスケジュールの調整をやっていたわけだ。見ず知らずの外国人が「こんにちは」といって簡単に合える人物ではないのだ。息子たちに聞くところによると「今はバンクーバーで環境省と森林伐採についての交渉をやってるはずだ」という。

トーテムポールには必ずストーリーがある。まずストーリーを創り、何を彫っていくかを図面に書き彫りこんでいく。すでに3割ほど彫刻が進んでいた。チェーンソウやノミ、チョウナが主な道具が並んでいた。このレッドシダーの大木は樹齢500年を越えていた。

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トーテムポールの製作現場に出会った! 何かが好運をもたらしてくれた。その何かに感謝せずには居られなかった。ちょうどワールドカップサッカーで日本がカメルーンに勝利した日だった。それも宿のテレビで中継も見られたのだからなおさらであった。

有難い事だったが、実は何のアポもなしに旅に出て幸運に恵まれることはこれまでの旅でも何度か経験している。ブラジルのシャバンチ族セレワフ、インドのチベット族ダワがそうだった。Manto                マントに刺繍された熊の図

             われわれはハイダグワイに歓迎されたのだ。

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2010年7月18日 (日)

ハイダグワイ旅行記 その六

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スプルースはエゾマツと同種。北海道でも見慣れた樹ではあったが、その大きさに圧倒された。樹齢は500年をゆうに越えているように思われた。海岸から山に入り2時間ほどの鬱蒼とした森の中にこの樹はあった。

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枝から垂れ下がる苔はこの姿になるまでどれくらいの時間をかけたのだろう。 

片道1時間ほどの道のりだと聞いていたが、撮影しながらが3時間かけ目的地のスピリットレイクという名の湖に到着。湖というよりは山頂の窪地に水が溜まったような沼だった。スピリットと名の付くにふさわしい。おそらく5000年は姿を変えていない風景が目の前に広がっていた。

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キツツキ、ハクトウワシが私たちを迎えてくれた。風の音と鳥の鳴き声以外は何も聞こえない。

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2010年7月15日 (木)

ハイダグワイ旅行記 その五

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ハイダグワイは森また森が包む島である。遠くに南島の雪山が見え、深い森が広がっていた。こんなに晴天が続くのは珍しいという。何しろ年間の降水量が8000ミリというから日本の平均の2倍は降る。

Canoe

村人にカヌーが海に出ると教えてくれた。

スキドゲイト村の浜で見かけたハイダ伝統のカヌー。ナショナルジオグラフィックのテレビクルーが撮影中で、子供たちを乗せ沖の島を一周して戻ってきたところ。

このカヌーは知る人ぞ知るハイダ出身の故ビルリード氏の作品である。子供20人と大人4人が乗っていたが、まだまだ余裕があった。こんな場面に出会えるとは、何とラッキーな。

Kau_woman 「わたしたちの息子があのカヌーに乗ってるの。自慢の息子よ」と笑った夫婦がニシンの卵がびっちり付いた昆布をくれた。この”子持ち昆布”は絶品。その後もいろんなところでご馳走になった。島の人たちののおやつ。

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下の写真はハイダグワイの100年前の村を再現した博物館。かつては家々の前にトーテムポールが立ち並んでいた。ハイダグワイに天然痘が持ち込まれる前の時代である。この病気により何と人口の90%が死んだという人類最初の”生物兵器”である。現在残る南島のトーテムポール群は廃墟となったかつての村であった。

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このあと我々は森に入ることにした。

苔むした森に残るスプルースやレッドシダーの大木が待っていた。

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2010年7月 7日 (水)

ハイダグワイ旅行記 その四

日本を出て四日目。カナダ太平洋岸最北の街プリンスルパート。なぜか晴天。このあたりはぐずつく天気が当たり前の気候だ。

海岸に出るとイーグル(ハクトウワシ)が飛んでいたので撮影する。カナダに来て初めて見るイーグルだ。Eagle

海岸沿いの広い道路そばに漁船が展示されていた。 よく観ると日本の漁船。説明板には無人の船が日本から黒潮に乗って運ばれ太平洋を横断しハイダグワイ沖で発見されたのだという。三重県の尾鷲から流れ着いたこの漁船がハイダの祖先が数千年もの昔どこから来たのかという長年の疑問に答えを出した。

彼らは日本から、少なくとも日本を経由して北太平洋をカヌーでこの地に到着していたのだと確信した。

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          写真は泊まったホテルと裏庭の花壇。廃車も使いよう。

夕方まで近く公園で暇をつぶす。

Forest

アラスカに近い森は針葉樹で覆われていてる。

ハイダグワイまで船で数時間のところまで来た。夕陽のなかをフェリーがプリンスルパートを出航。まだ観光シーズン前でフェリーはガラガラ。

ハイダグワイに着いたのは翌朝5時。日本を出て5日が経っていた。

タクシーで第一の目的地スキドゲイト迄行きたいというと「そこにはホテルがない」という。仕方なくクウィーンシャーロットシティのホテルに投宿した。

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         クウィーンシャーロットで見かけたレッドシーダーの小粋な家

翌朝、知り合いの友人Gが住んでいるというスキドゲイトへ。その人物を訪ねるために小さなみやげ物屋で尋ねる。愛想の良い女性オーナーは「Gならこの近くに住んでるわよ」と電話であちこちに聞いてみてくれた。今は近くの役場に居るという。そこを訪ねると彼の秘書という女性に取り次いでくれた。「秘書って会社の社長かなんかやってるのかな?」と想像する。今日は忙しいので明日、近くのビーンズトーク(豆の会話)という名のコーヒーショップで会う約束を取り付けた。

彼がこの旅のキーパーソンとなることを翌日知ることになる。

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2010年7月 5日 (月)

ハイダグワイ旅行記 その三

バンクーバー島北部の港ポートハーディ。午前5時、ミニバスに乗り込む。宿からフェリーターミナルへ。

BCフェリーに乗り込む直前、乗組員たちがフェリーの救難ボートを使い訓練をしていた。

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午前7時ごろ出航。日本を出てすでに3日目の朝だった。これからフィヨルドの島々の中をくぐりぬけるように船は進んでいく。ほとんど両側は陸地で狭いところは幅1キロもない地峡インサイドパッセージをゆっくりと船が進んでいく。

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レストランで食事をしていると、クジラが泳いでいると館内放送があり尻尾をかろうじてスティール撮影(右写真画面中央のゴマ粒がクジラの尻尾)

ビデオカメラでは悠然と潮を吹き、尾びれを跳ね上げるクジラの鮮明な動画撮影に成功した。

やはり飛行機で一気にハイダグワイに飛ばずに船の旅を選択したのは大正解だった。日本人はわれわれ夫婦だけ。この船旅はお薦めする。ほとんど揺れがないので湖を走っている感覚だった。

プリンスルパート(ハイダグワイの対岸の街)に到着したのは、その日の夜10時過ぎだったか。

ポートハーディの宿の女将が手配してくれたホテルのバンタイプの緑の車が迎えに来てくれていた。

ハイダグワイまであと一日のところまで来た。数10キロ北に行けばそこはアラスカである。

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            午後10時過ぎに日が沈む。 ハイダグワイは遠い。

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2010年7月 2日 (金)

ハイダグワイ旅行記 その二

時差の関係でバンクーバーに到着したのは出発した3日と同じ日の午後だった。

バンクーバー国際空港で到着客を迎えてくれるのは二対の大きな木彫のトーテムである。これを観るたびに新千歳空港にも先住民族アイヌの大きな木彫を置くべきだと思う。

カナダでは先住民族をファーストネーションと呼ぶ。海外からの観光客はこのトーテムでカナダはファーストネーションの国であることを知ることになる。

友人がバンクーバーに住むハイダのチーフの電話番号を教えてくれるはずだったが、時差の関係で仕事先の電話では訊くことが出来ず、バンクーバーで一泊してチーフに会うかどうか迷っていた。

内陸部のリルワットネーションに住む友人アルビンにバンクーバーに到着したことを告げ、ハイダの撮影が終わったらお邪魔すると話す。すると彼がハイダに友人がいるという。

バンクーバーからフェリーでハイダグワイに行くと3回乗り換えなければならない。スケジュールを確認すると今日中に隣のバンクーバー島ビクトリアまで行かなければ、ハイダグワイへは5日もかかってしまうことが判り、チーフに会うことはあきらめビクトリアに向かうことにした。

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バンクーバーはカナダ本土にあり、バンクーバー島はバンクーバーの対岸にあるのでややこしい。

空港でビクトリア行きのチケットを買う。バスとフェリーのチケットが一枚になっていて荷物を載せたバスがフェリーに載りそのままビクトリアまで行ってくれるので、大荷物の我々は大いに助かった。

今夜はビクトリアの安宿に宿泊することにし、港近くのレストランで中華風チキンの煮込みとチーズパスタ、地ビールを注文した。ウェイトレスが可愛くてものすごく良い笑顔だった。その後入ったレストラン全ての女の子が可愛すぎて愛想がよくたまげた。日本のレストランのマニュアルどおりの笑顔にいつも辟易していたので、カナダの笑顔にゾッコン惚れた。Victoria1

時差ぼけのまま宿に帰る。午後10時ごろにようやく日が沈む。夜中に男女が喧嘩したらしく大騒ぎだったらしいが、ぼくは明け方まで熟睡。

翌日乗ったグレイハウンドで一日かけてバンクーバー島北部の港ポートハーディへ。着いたのは夕方、バス停近くの映画館を改装したホステルへ投宿。女将が日本通で「沖縄は天国だったわ」などと会話が弾んだ。小さな町なので唯一開いていた韓国人が経営する日本食レストランへ。寿司もどきとてんぷら(味噌汁付き)の定食。ここの若いウエイトレスがモデルのように美人で愛想がよくてたまげた。彼女がアサヒビールのドライを薦めるので2本も注文した。

明日はポートハーディからフェリーで島々の間を巡り、ハイダグワイ対岸のプリンスルパートまで行くことになる。

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2010年6月29日 (火)

ハイダグワイ旅行記 その一

カナダのハイダグワイ(クウィーンシャーロット諸島)に行ってきた。

昨年、知り合いの写真家の撮影した森の中で朽ち果てていくトーテムポールを観たのがきっかけでだった。、滞在期間は6月3日から6月21日。

今回は取材としては初めて連れ合いとの二人旅となった。

新千歳空港から白老町の友人に電話でこれからハイダグワイに行くと電話するとそこのチーフが知り合いだという。チーフとは北米先住民の部族長で代々世襲されてきた制度である。飛行機に乗る直前だったのでカナダに着いたら連絡先を教えてもらうことになり、幸先のいい旅立ちとなった。

成田空港でバンクーバー行きのJAL機に乗り込むと、隣席にインド人の女性がすでに座っていた。ビデオカメラを見て「テレビレポーターか?」と訊いてきたので、事情を話すと英語の話せる人間を待ってましたとばかりに、機関銃のように日本人はどうのこうの、最近の日本の政治はどうのこうの、自分は民主党の小沢一郎のファンだとかまくしたてられた。岐阜で英語の教師をやっていて、娘の住むバンクーバーに行くのだそうだ。実はこのひと閉所恐怖症で飛行機のトイレのドアを閉めて用を足せないらしい。飛行中に何回も女房がトイレまでついていってやっていた。おかげで退屈しなかったが、寝不足のままバンクーバーに到着したのが同日の昼ごろだった。

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